日本のヒステリーを解除せよ

いまだに日本にはヒステリーが蔓延している。戦後これだけ経ってまだ克服できていない。ここで言うヒステリーとは性格類型のことである。ヒステリーはある欲望に向かってまっしぐらに行き続ける。性格類型で対比すると、考える前に行動するのがヒステリーなら、動く前に考え込むのがスキゾイドである。戦後のある時期までにはうまく働いたヒステリーも、バブルが崩壊して久しい今の日本では害でしかない。ニートもひきこもりも、そうした日本のヒステリーへの反抗でしかない。この論考では、戦後から長い間に有効だったヒステリーが、なぜ今ではダメになってしまったかを考えたい。
なぜ戦後にはヒステリーが有効だったのだろうか。一番の原因は、まだ日本が物質的豊かさを達成できていなかったからこそ、それを夢見ることができたからである。ちなみに、そのときの物質的豊かさは、アメリカに規範が求められている。ヒステリーにとっては、必ず欲望の対象を必要とするのだが、その欲望は達成されてはならない。なぜなら、それが達成されたら、欲望の対象が失われるからだ、欲望の対象が失われたら、ヒステリーは生きていくことができない。この場合の欲望の対象は物質的豊かさである。日本の物質的豊かさはヒステリーによって作られた。はっきりとした目標のある場合は、深く考えずにすぐに行動するヒステリーは最適である。だが、バブル期に至ると彼らは投機や土地ころがしなどに夢中になり、それは悪く働いてしまったが。
良き日本を夢見ることができたからこそ、政治や評論は騒がしくできた。プロジェクトXのような行為も行なわれた。全共闘だって、良き日本を夢見たから可能だったはず。誰も彼もみんな、欲望の対象があったからそれへ向かって一斉に行動することができた。その行動の仕方の違いはあれど同じだ。しかし、すでにヒステリーの活躍できる前提は失われている。盲目的に、皆で一定の夢を追い続けることはもうできない。
ヒステリーが有効だったもう一つの前提、それは冷戦である。アメリカとロシアとの冷たい戦争。冷戦という慢性的な不安があったからこそ、ヒステリーを働かすことができた。アメリカにコンプレックスを抱いていたからこそ、物質的豊かさという欲望の対象を抱くことができた。言われるところの、アメリカの影、核の傘である。結局、アメリカに追従して楽しんでいたのは、ヒステリーである彼ら自身ではないのか。彼らはいまだに、物質的豊かさが甦ることを夢見、アメリカや外国に劣等感を抱いている(著作権の延長も外国への劣等感による追従だ)。彼らは今だに同じヒステリーの対象を維持している。困ったものだ。でも彼らはヒステリーだから考える気もさらさらない。彼らは享楽を得続けるために、同じ事を繰り返すだけ。その行為や言説に何か現実的な意味があるかなど、彼らにとってはどうでもいいことだ。企業家も政治家も評論家も、みんな同じ穴のムジナだ。
ヒステリーにヒステリーで対抗してはならない。それはますますヒステリーを強化させるだけである。強く反対されるほど、より強くそれに固執する。障害のある愛の方がより燃え上がるのと同じ理屈である。だから、ニートやひきこもりは正しい対処法だ。熱いものには冷たいもので対処せよ。ヒステリーにはスキゾイドで対抗せよ。まずは、日本はヒステリーを解除すべきだ。もちろんそれだけで問題が解決するわけではないが。
いまこそ本当に考え込むべきだ。ろくに考えずに行動できる時代は終わった。いまこそ、単なる輸入品でない思考が必要である。残念ながら、学者や研究者には期待できない。一人一人が物事をきちんと理解しきちんと考える必要がある。。本当に必要なのは、ヒステリーとは関係のない落ち着いた地味な思考と行動だ。ヒステリーよ、さようなら。またそのうちに出番は来るから待っててくれ。お願いだから、おとなしくしてくれ。一生のお願いだぁ。