宮台真司は不毛な監視社会を避けることができるのか

宮台真司は、本来の専門の社会学的話をさせるとやはりすごい(http://www.miyadai.com/index.php?itemid=281)。それに比べると、東浩紀の監視社会論などたいしたことない(http://it.nikkei.co.jp/trend/column/opinion.aspx?i=20050810gc000gc)。相変わらず、話が極端でSF的だ。すべての郵便物やゴミ袋にRFID(認証みたいな物か)をつけるって何だよ。もっと実現可能なこと言えよ。そんなことできるのいったいどれくらい未来の話なんだ。現実の複雑さをもっと認識しろよ。そういう全体をすべて制御すればよい(でそれに反対する)と言う話にすぐに飛ぶのはやめたほうがいいぞ。佐藤亜紀がブログで言うように、イギリスもフランス並みに管理を厳しくすればよいと考える方がよっぽど現実的だ(http://tamanoir.air-nifty.com/の2005.08.08)。こんなの必要に応じて厳しく取り締まればいいだけだ。本当の問題は、その必要性を誰がどのように決めるかということである。今回の宮台真司の話はまさにその話である。
通信傍受だの監視カメラだのは、そもそも誰がどんなやつが怪しいかが分からなければ役に立たない。実際にできるのは特定の人物を追うことしかない。いくら盗聴や録画をしたって、そのすべてを確かめられるわけではない。まだ、怪しい人とそうでない人を見分けるソフトなどできていない、というかできっこない。他方で、それによって捕まるかもしれないという抑止効果はどうかというと、これまた期待できないという。社会で生きる気力を失ったやつが犯罪に走るのであって、捕まることなど初めから恐れていない。じゃあ、どうすればいいのか。
実のところは、本当に犯罪が減るのかという実効性を考えていろいろやらなくちゃいけないのだか、そもそも一般の人にはどうすれば効果を得られるかがさっぱり分からない。今や、社会はあまりに複雑になってしまった。昔の共同体とは異なる。しかし、不安は解消したいと言う欲求は残る。というわけで、社会は二重化される。一般人に見れる層と、一部の人にしか見通せない層と、にである。表向きには監視カメラをたっぷりつけたり、怪しい風俗店を失くしたりする。一般人の不安向け対策だ。しかし、それで犯罪がなくなるわけではない。一般人の自己満足に反して、犯罪は見えない裏の世界に移動する。犯罪は巧妙に隠される。警察は、犯罪が一般人の目に触れないように巧妙に振舞う。社会から犯罪が無くなることなんてそうそう起こらない。
この世には、いやでも裏まで見通してしまおうとする人と、そんなことにお構いなしに何とか生きていければよいという人と、がいる。宮台真司風にいうと、超越系と内在系である。内在系は、夢とか出世とか自己実現とかといった欲望の対象を必要とする。彼らは欲望の対象が無ければ生きていけない。たとえ、その欲望が現実的には実現不可能であろうとも、内在系にとって欲望の対象は必要である。欲望の対象がなければ内在系は生きていけない。内在系にとって醒めた夢など欲望の対象ではありえない。たとえその夢が不可能だと分かっていても、その夢をあえて信じて生きていくしかない。この「あえて」が意識されるかどうかが、「醒めない夢」と「醒める夢」との違いである。内在系は「醒めない夢」しか必要としない。
宮台真司は、社会に生きるすべての人が、裏で行なわれているエリートのゲームを知るべきだと言っているのだろうか。どうも、それは無理だと言っているようだ。これには賛同できる。裏など知りたくない、知ったらどう生きていけば分からないという人はいうる。それが上で述べた内在系の人である。だから、社会的流動性そのものの制約への道しかありえない。生活世界の空洞化は防がなければならない。しかし、ここで矛盾が生ずる。生活世界とは本来、意識されざる前提で無ければならない。生活世界の空洞化を防ごうと言う努力そのものは、意識されることである。生活世界を意識的に充実させようという「あえて」の試みは果たして成功するのだろうか。「あえて」を意識するエリートと、「あえて」を意識しない一般人。ここにいるエリートとは、、社会を技術的に作り上げる人たち、社会設計の技術者である。無意識な前提を意識的に作り出せるという考え方は、ちょっと僭越にすぎるのではないのか。*1たとえこれを認めるにしても、エリートでもない内在系でもない、一般の超越系の人はどうすればいいのか。彼らこそ、社会からの避難所を必要とするのではないのか。それもエリートが設計できるというのか。本当の問題はまだ山積みに残されている。

*1:ちなみに、二重に平面化された社会では、この問題は回避されている。エリートは、一般人の要求に合わせて第一平面を整えればよい。そして、それに合わせて変化した第二平面を制御すればよい。制御の仕方は、第一平面の秩序に影響を与えない限りで、好き勝手なことができる。例えば、汚職とか贈賄とかもできる。一般人はそれを知り得ない。ここで行なわれているのは一般人にそれを見えなくさせること(意識させないこと)であって、無意識の前提を意識的に制御することではない。