宮台真司ってトラックバック本気で読んでたのね

宮台サイトのコメント(http://www.miyadai.com/index.php?itemid=305)読む。自分もトラックバックする身でなんだけど、トラックバックに期待しすぎじゃないかと思う。どうしても許せないというわけでもなきゃ、読み飛ばして無視すりゃいいのに。これでトラックバックのレベルが上がる可能性もあるとしても。
性差問題はいろいろ頭いたい。男が一方的に女について語るの域を出ない。でも、宮台真司は女性に過剰な幻想を抱きすぎ。男は世界に対して閉じているが女は開いている、とか。そんなのその人しだいだって。私は男女の差は統計的にはあると思う。でもあまり一般化するのはちょっと問題。それこそ男性的思考法ではないのか。
というか、「サブカルチャー神話解体」での「翔んだカップル」への高評価以来感じていたことだけど、宮台真司は求める基準が高すぎる。たいていの人はそんな高い基準に達せることが難しいから、まったり革命だったんじゃないのか(「終わりなき日常を生きろ」参照)。私は「NANA」は読んでないが思うに、NANAになりたいと思うことと、NANAであることとは違うと思う。ぜひ、角田光代対岸の彼女」を読んでもらいたい。「敏感だから動じない威丈夫」なんて幻想だ。たとえそう見える女性がいたとしても、そうならざるを得なくてなったに過ぎない。みんなにそうなることを求めるのは無茶だ。
「“醒めない夢”ならOK」という考え方も重要だ。過去にはそれでやってきたのだから。「再帰性」は生まれつきのエリートのものだ。社会の中のエリートとは関係ない。もちろん大衆とも関係ない。たとえ嫌みったらしくとも、はっきりこう言う方がましだと思うが。

対岸の彼女

対岸の彼女