さらに宮台真司でニーチェネタ
宮台真司は理論と実践を対立させていること自体が問題だと思う。芸術家であるワーグナーはまだしも、一著述家に過ぎないニーチェにどうせいと。理論と実践の対立はもちろん言説と行為の対立とは一致しない。宮台真司は、ニーチェは下らないおしゃべりばかりしてたって言いたいのか?どうしろというんだ。自分の才能を無視して芸術とか政治とかに走れとでも?(というか「ツァラツストラはかく語りき」は詩でもあるのだが)。
ニーチェは古代ギリシアのピュロンを好んだ。ピュロンは、のちにピュロン主義とか懐疑主義とかと呼ばれる学派の祖とされる。でも、何とか主義とその祖本人とはたいていあまり一致しない。ニーチェが好んだのはピュロンの外面を気にしない生き方そのものだ(該当箇所は「権力への意思」の索引で探してくれ)。ちなみに、私は生涯表に出ることのなかったアメリカの詩人エミリ・ディキンソンが好きだ、ある意味ピュロンに似てるかも(残された思想や作品の素晴らしさを考えるとすごいのだが)。