アフォーダンスという概念の意義がいまだに見出せない

はっきり言わせてもらうと、未だにアフォーダンスとは何かがあまり理解できない。辞書的な定義ならはてなキーワードにもある。でも、そんなの知ったって分かったことにはならない。なぜアフォーダンスという概念が必要かが分からないといけない。
昔から佐々木正人の本はいくつか読んできたが、文章は分かるが肝心のアフォーダンスの意味はよく分からなかった。三嶋博之の本も読んだことはあるが、明らかに理解が整理されておらず、その本は売ってしまった。ちなみに、ノーマンのアフォーダンス(著書「誰のためのデザイン?」の)は独特の意味であり元の意味からはかなり遠い。ギブソン本人の著作の翻訳は学生時代に読もうとしたが読めなかった。後になって訳の問題だろうと英語の原典にも挑戦したが途中で挫折した(独特の用語が多く、辞書で調べるのがひと手間)。エドワード・リードを読んで少しはましになったが、でもいまいち納得がいかない。分かりやすい方の主著「知覚システムとしての諸感覚」の翻訳は何年も前から出る出ると言ってて出る気配はない(その後ギブソン論文集を買ったが訳は分かりやすいが内容が難しい、気が向いたら自分なりの解説書くかも)。
それまでの古典的な知覚の理解では、知覚は感覚情報を解釈(推論)する、という考え方をする(R.グレゴリー「視覚と脳」などを参照)。錯覚図形などを考えればそう思いたくなる。それに対して、生態学的アプローチでは、知覚は環境の情報を抽出する、と考える。熟練した職人は情報の抽出が上達している。また、知覚は錯覚実験からでは静的理解しかできないが、現実の知覚は動的である、というのも分かる。ギブソンの実験、動いているときだけ区別されて見える物の実験とかも知っている。それに、ゲシュタルト心理学との関連も知っている。でも、そもそも解釈と抽出とは排他的なのか、光に囲まれてれているという考えはどんな意味を持つのか、動物にはそのまま当てはまっても人間はどうなのか、ユクスキュルの環世界とはどう違うのか…考えると切りがない。
状況論的アプローチはそれなりに理解できるだけに頭が痛い。日本の学者は適当な理解で満足するから始末が悪い。結局は自分で原典から読んで独学するのが一番なのか、はぁ…

  • 参考サイト

http://kamakura.ryoma.co.jp/~aoki/paradigm/affordance.htm
ところで、こういうカタログ的なサイトは便利だが、一方で不毛さも感じる。いくら情報を集めたって理解が深まるわけじゃない。ちなみに、このサイトで言うような各学問をつなぐ統一理論を作ろうとするよりも、各学問を何とか位置づけて矛盾をそれと認めながら解消されるべき方向の可能性だけを示すという理論の方がいいと思う。こういう究極の統一理論を夢見るあたりがいかにも科学者的だ。やっぱり現代思想はろくに知らなそうだ。
http://210.156.35.135/~motoe/mt/archives/000716.html
ちなみに、これにも納得がいかない。

ダイナミックタッチ http://dynamictouch.matrix.jp/
IC17/BOOKS_50/36 http://www.ntticc.or.jp/pub/ic_mag/ic017/books50/36.html
「身体情報認知論」 http://members.at.infoseek.co.jp/affordance/
Yasyshi NoguchiHome Page http://www.rr.iij4u.or.jp/~haya/japan/japanese.html
この程度の説明に納得するようじゃダメです。アメリカにだって理解者は少ないのに甘いですよ。