プロトタイプを実体化すべきでない理由

前回の続きです。前回の記事を公開してから、やっぱりウィトゲンシュタインの家族的類似性についても書かないと納得できる説明にならないよなぁと思った。しょうがないので今回、手短に説明する。
なぜ家族は似ているのか。このとき、家族全員に共通の特徴(例えば「鼻の形が同じ」)があるわけではない。普通は、母と息子は目元が似てるねとか、父と娘は口元が似てるねとか、息子と娘は顔の形が似ているねとか、各成員どうしでどっかは似てるけど、家族での共通の特徴を導くことはたいてい出来ない。このように互いに一部の特徴だけを共有する(すべてに共通の特徴はほぼない)ときに家族的類似性があるという。
で、早速プロトタイプの話。辞書的には事物の典型性はプロトタイプからの距離によって決まるとされる。ここで注意すべきは、プロトタイプを安易に実体化すべきでないことだ。上で書いたようにプロトタイプでは共通の特徴(定義的特徴)によってはカテゴリーを決められない。家族的類似性、つまり代表的特長の束によって定められる。例えば、たれ目とか口が大きいとか顔が丸いとか。こうした代表的特長によってプロトタイプからの距離が決まる。代表的特長を多く持っていればプロトタイプに近い(典型的だとされる)。翼や羽毛は「鳥」の代表的特長だ。ならば、代表的特長を集めれば「完璧な鳥」が出来上がるのか。そうもいかない。まず同じ程度の代表性を持つ特徴が同時には成立しないことがある(色が赤であることと青であることとは両立しない。もちろん中間色とかはダメ)。つぎにうまく代表的特長を集めても、集めた代表的特長に含まれない重要な特徴が穴としてたいてい残る(例えば、スズメのような小さい鳥かハトのような大きい鳥かどちらが代表的特長としての大きさを持つと言い切れるのか)、よってその穴は恣意的な特徴で埋めるしかない。つまり、代表的特長だけを集めて「完璧な鳥」などを作り上げるのは基本的に困難だ。
とはいえ、代表的特長を参照しての勝手な想像は出来るうるし、鳥のような比較的簡単な例なら出来る可能性は高い。しかし、それとて実例として典型性を与えられるに過ぎない。99.99…点はありえても100点満点はありえない。定義的特徴のような完全な抽出は不可能だからだ。プロトタイプ理論では中心の100点満点は空にしといて、中心からの範囲や距離で考えた方がいい。
ちなみに、認知言語学が工学的だと前回参照した記事で指摘されているが、普通は生成文応の方がよっぽど工学的だといわれると思う。というか、認知科学に関わる分野は全体的に工学的だ(そういう風に始まったから当たり前)。