松沢哲郎「チンパンジー・マインド」からの引用

わたしがアメリカ留学中に師事していたプレマック先生が、あるときこう話してくれた。ピアジェはなぜ偉いかというと、子どもの認識の発達にかんする説明をしたから偉いのではない。子どもの認識の発達にかんする問いを出した。だから偉いという。
その後、ピアジェの提唱した発達理論については、多くの研究者が追試をしてきた。ピアジェの説明とは違ったかたちで子どもの認識の発達が説明されるようになった。振り返ってみると、ピアジェの説明はまちがっていたかもしれない。しかし、かれがはじめにたてた設問は今も生きている。どのような経過をたどって、ヒトはその認識を形成するのか。認識の発生といったことをまだだれも問題として捉えていないときに、ピアジェはいち早くその重要性に気がついた。ピアジェの問いかけによって、たくさんの研究者が知的挑戦欲を鼓舞された。だから、ピアジェは偉いのだという。
世の中におもしろい事実というのはたくさんある。しかし一見脈絡のない事実にも、通低する規則性があるはずだ。それを見出す理論が必要になる。そうプレマックさんは考えていた。だから。ある日こんなふうにおっしゃった。
「哲郎、おまえは事実が好きだが、私は理論が好きだ。」
「哲郎。おまえは答えを出すのが好きだが、わたしは問いを作るのが好きだ。」
言われてみると思い当たる。問いさえ立てられれば、答えを出すのはそうむずかしいことではない。