現在の日本はすでに日本的ファシズムと等価な政治的スノビズムに陥っている

今の日本じゃ蛸壺化も棲み分けもすっかり進んで、国内の違った領域の人の間でコミュニケーションすることはありえないし不可能だしそもそもやる気がない。他者への想像力を欠いた利己的なネオリベとか、仮想の敵や問題を見つけ出しては必死に叩く自己満足なスノビズムとか、3次元から逃げ出して萌えに走ったオタクとか、現実とは無関係に評論家ごっこするアカデミズムとか、みんなすっかりバラバラだ。いくらネット上で社会問題について語っても、読むのは初めから限定された人たちだけだ*1
もうすでに日本では、政治家も官僚も企業家も学者もマスコミも、みんなみんな信用できない。そこにあるのは好き勝手なおしゃべりだ。勝手に自分に都合のいい敵だの問題だのを構築して騒いでいるだけだ(現実からのデータに基づいたきちんとした話ってどれほどある?)。スノビズム王国バンザイ!かといって、本物の弱者は忙しいだの金がないだので、マスコミに踊る好き勝手なおしゃべりしか目につかないし、かといってそもそもネットをやる余裕さえないかケータイしかやらない、たとえやってもそのほか大勢の下らない話題にまぎれてしまう。まぁネットをやっていたとしても、たいてい自分に興味ある情報しか見ないからしょうがないが(2ちゃんねるとか?)。
日本における政治的スノビズム=日本的ファシズム機能的等価仮説。行き場のない超越性を何か仮想の対象に投影すると言う点では全く同じ*2。たまたま対象がファシズムのように一致してないだけ。歴史的に見ても日本では常にスノビズムを働かせては来たのだが、これほどに日本で大々的に大の大人を含めてスノビズムを一生懸命に働かせているのはファシズム期以来ではないのか。これはもうコジェーブの言うような文化的なスノビズムではない、政治的スノビズム*3。文化的なスノビズムと違って、政治的スノビズムは社会を支えるために本来必要なことをやらないので害があまりに多大だ*4。政治的スノビズムは日本的ファシズムと等価だ*5。もう日本滅びますね、若者のせいじゃなくて大の大人のせいで…*6。荒まなきゃやってられねぇよな。
大の大人にまでスノビズムが常態化してしまうと、動物化したオタク*7とかヤンキー*8とかにさえなれない人にはどうしようもない。しかし、大衆を相手にしようにも重大な問題に初めから興味ないしバカも多いしで効率が悪いし(人気ブログのくだらなさ)、かといって、エリートを相手にしようにも遠くて手が届かなすぎる(エリートを相手にしてる宮台真司でさえうまくいってるように見えない)。となれば残るのは「Web進化論」で述べられている戦略、教養ある中間層を相手にするしかない。これこそが「エリートvs大衆」の不毛な対立にはまらない唯一の方法だ。日本の社会を今すぐは変えられなくても将来の準備ぐらいしときたい。地味に地味に教養ある中間層を厚くしていくことしか今の日本でできることはない。でも黒船来たりとか原爆落とされたり*9とか、そんな外部からの介入は望めないので、日本の政治的スノビズムに終焉が来るのかは分からない。将来のことなど誰にも分かりえないのだから望みが無いわけじゃない、って程度のオチで勘弁してください*10*11

  • 参考サイト

自惚れ日本文化論 アレキサンドル・コジェーブの再臨 http://blog.livedoor.jp/wnmtohoku/archives/50415363.html
第9節、日本的スノビスム http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Cafe/2663/crisis/2no9.htm
はてな - 動物化とは http://d.hatena.ne.jp/keyword/%C6%B0%CA%AA%B2%BD

*1:だからこの論も結果的には単なるおしゃべりにしかならないだろう。まぁ、初めから読者が限定されることは想定済みだが。この論の後半も参照

*2:投影という精神分析用語がいやなら、社会的認知におけるスキーマに置き換えても大して変わらない。自分に都合よく物事を見るという点では同じだ。ただし欲望の扱いに困るが、それを誤魔化してもこの論は成り立つ

*3:北田暁大による「繋がりの社会性」や鈴木謙介による「ネタ的コミュニケーション」はむしろ文化的なスノビズム。大して害が無い限りは勝手にやれと思うが、そうも行かなくなってきたという話。鈴木謙介ジェンダーフリー・バッシングは疑似問題である』紹介 http://d.hatena.ne.jp/Backlash/20060605/p1も参照。たとえ民衆レベルで有意義な議論をしてもそれが政策に生かされる道そのものがすでに閉ざされている

*4:ましてや政治家や官僚はそれで給与もらっちゃうしねぇ。ありもしない問題作りあげて俺は仕事してるぞっていばってるだけ。だいたい政治家や官僚は市場だの民衆だのを信用してなさすぎ。信用して無いならせめてもっとまともな仕事しろ(例えばどうしようもない法案を通すな)。今のままなら彼らは何もしない方が害が無くてよっぽどよい。これが政治的スノビズムの正体です

*5:頭痛いのは政治的スノビズムであれ日本的ファシズムであれ、本人たちはそれなりに正義感を持って真面目にやっているから余計に始末が悪い。意図がどうであれ有害は有害です。「学者の処世を考える―竹内洋ほか編『蓑田胸喜全集』始末」http://www.kashiwashobo.co.jp/new_web/column/rensai/r01-31.htmlも参照

*6:私の印象では地位のある人で政治的スノビズムがひどい。変な問題ばっか叩いてないで、行政組織の最適化とかサービス残業のような労使問題とか、扱うべき重要な問題が他にあるでしょ。まともな大人もいるがそういう人は状況にうんざりして離れてしまう。例えばBSE問題での関連組織からの専門家の撤退とか挙げると切りない

*7:逆に言えばオタク批判がいかに見当はずれかってこと、彼らは彼らなりに苦労してる(いた)はず。ただし当たり前のように恵まれているのにオタクってのにはむかつくが(お前がオタクになる必然性ねぇだろ)。ちなみに、腐女子恋愛資本主義者といった日本の女性の問題は取り上げないでおく。男女の対立まで考慮に入れると話がややこしくなる

*8:またはDQN2ちゃんねる用語らしいがなんかやだなこの言葉。私が2ちゃんねるを好きになるなんて今後一切無いだろう。

*9:一応言っとくが原爆は日本が敗戦した直接の原因とはいえない。そんなの無くたってすでに負けてました

*10:一応補足しとくと、私はスノビズム一般がいけないとは思っていない。それほど害が無い限りは勝手にやってくれが本音だ。問題はやるべき仕事をやらずに(政治的な)スノビズムに陥るのは最低だって言っているだけだ(ならその地位や職に就くな)。でもそいつに辞職してもらっても日本じゃ他に仕事ないか。ときどき日本の問題は流動性が十分に高くないことにあると思うことは多い。流動性が高ければ不適格者が仕事をやめさせられても別に職を見つけられるだろ(労働市場を働かせろってこと)。ネオリベな自由放任主義もまずいが、今の日本はそれ以前って気がする。修正資本主義について真面目に考えてくれる人は日本にはあまりいない(反・資本主義は現実的な対案が無くちゃお話にならない)。

*11:最後に。私自身は日本は流動性が高い方がいいのか低いほうがいいのかよく分からないでいる。上の注で述べた意味では流動性は高い方がいいのだろうが、じゃあ実際に労働市場流動性が高くなって状況がよくなるかと言われたら??だって今の状態が初期条件だったら、本当にマトモな市場的淘汰が起きるかは怪しい。かといって流動性が低い時に戻ることは出来そうも無い。共同性を成り立たせるための良心は失われてすでに久しい。重要な点は別のところにある気もするが、今の私には分からない。「社会関係資本の総力戦体制」http://www.kashiwashobo.co.jp/new_web/column/rensai/r01-44.htmlも参照