資本主義の弁証法的な展開

今の日本じゃ若者が弱者だぁ、って議論が一部で見られるが、これはちょっと危険な議論だ。なぜならこれは「大人/若者」という旧態依然とした対立を前提としているからだ。図録▽自殺率の国際比較 http://www2.ttcn.ne.jp/~honkawa/2770.htmlを見れば分かるが、今の日本は中高年の自殺率が異様に高い。つまり、大人にも弱者と強者がいるということだ。いやむしろ、弱者の大人からすれば、フリーターとして過ごせる若者はまだましなのかもしれない。ルサンチマンから敵を特定する行為に及ぶのはとても危険だ。
「フラット化する世界」isbn:4532312809(上)isbn:4532312795(下)はその辺の下らないビジネス書と違って、きちんとしたジャーナリストによって書かれた出来のいい本だ。グローバリズムに対しての単純な賛成や反対ではなく、取材に基づいて公平に書こうと意図されている。最終的にはグローバリズムが世界全体を豊かにする可能性について述べられていて楽観的に終わっているが、まぁグローバリズム絶対反対の単純バカ野郎が多いことを考えれば妥当な選択だろう(もちろんこの本にはグローバリズム批判の章もあって参考になる)。しかし、ここではそんな単純な読み方はしない。
この本で取り上げられているアメリカとインドの例を挙げよう。IT化とグローバリズム化によって、アメリカのIT産業やサービス産業の単純作業がインドに委託されており、そのことによってインドの人に仕事が出来てよかったねって話。もちろんこれじゃ単純化しすぎだがおおよその流れはこんなもんだ。しかしよく読むと、アメリカの上級の仕事はアメリカの上層が占めて、アメリカの下級の仕事*1はインドの上層が占めて…って話でアメリカとインドの下層はどうなんだよとなる。この問題もこの本に書かれている。アメリカの下層には教育を施せばよいと。まあ最近の学習科学(認知科学の応用)でやられている話と同じだ。で、インドの下層(農村地帯)*2に関してはまだ将来への希望があるからいいじゃんとなる。でもねぇ…、アメリカの下層への教育の成果への期待には限界があるし(私はかなりきついと思っている)、インドの下層の持つ希望も他国の歴史を考えればやはり限界があるし(限界が来るまで構わないか。まぁ世の中はそうして回っている)。結局、過去の「先進国/途上国」の対立から国際的な「上層民/下層民」へと対立が移動しただけじゃん。そういう点ではマルクスの言うことは未だにあまりに正しい(この本でもマルクスからの引用がいくつかある)。
既存の対立を破棄して新しい対立へと向かう点で資本主義は弁証法的な展開をする。だからといって、資本主義反対〜みたいな現実無視のバカになってはいけない。資本主義に変わるものなど今のところない。かといって、勝手に敵を作って味方の範囲を狭めるのは非効果的だ(逆にあれもこれも重要ではダメに決まってるが)。アホな議論のままじゃ(実は社会の中では有能な)ネオリベには勝てない。社会の流れを見通す観照力を持て!

*1:当のアメリカではその下級の仕事は評価が低いが、インド国内ではむしろ高い。こうした職業評価の国際的格差の利用はいつまで続くやら

*2:そういえばインドは今でもカースト制のある身分社会だっけ