言語の構造と生成性

ジャッケンドフは音韻構造と統語構造と意味構造とを同列に並べているが、論理的に考えると変な感じがする。池上嘉彦が著書isbn:4140910666うに、音韻レベルと統語レベルとテキストレベル(語用レベル?)とに分ける方が合理的だし、階層的にそれぞれの生成性を別々に考えることも出来る。統語構造と意味構造を別々に考えるのは構わないのだけど、それを音韻構造と同列に並べるのは階層的に考えると変な感じ。音韻構造と統語構造&意味構造と談話構造&物語構造と並べるほうがよさそう。まぁ、統語構造と意味構造との関係の問題(生成文法vs認知言語学)はそのまま残ってしまうが、それは別の話だ。
これだと例えば文学に応用が利きそう。音韻構造の生成性は詩の韻律、統語構造&意味構造の生成性は比喩などのレトリック*1、談話構造&物語構造の生成性は話の流れ、を扱うことが出来る。それぞれに既存のスキーマ(図式)があってそこからのズレを楽しむのが高度な文学的楽しみとか。でもこれって、レヴィ=ストロースヤーコブソンが昔やったボードレールの猫の詩の分析と変わらんような気もするが。

*1:文法の話は不毛。間違っている方がおかしい