日本昔話の構造分析

この論考では日本昔話をレヴィ=ストロース流に構造分析したい。神話や昔話の物語分析にはレヴィ=ストロース型以外にも、教訓型、ユング型、プロップ型などがある。教訓型(または社会科学的な機能主義による分析)とは、その物語には属する社会にとって役立つ機能が含まれているとする分析だ。例えば、桃太郎は鬼が島から宝を持ち帰るが、かぐや姫は月に行って戻ってこないが、これは男は仕事で女は結婚という性差役割を教えているといった考え方だ。ユング型の分析は、物語の中にトリックスターなどの元型を見つけだすやり方だ。例えば、浦島太郎を引き止める乙姫は何もかもを自らの元に引き込むグレイトマザーな元型の表れだ、といったように。そして、レヴィ=ストロース型と混同されやすいのがプロップ型の分析だ。レヴィ=ストロース型には構造主義*1な変換の考え方が含まれているのに対して、物語の流れを見るプロップ型にはそれがない。例えば、桃太郎は<誕生><試練><帰還>と物語が流れる。瓜子姫のあるヴァージョンでは、瓜子姫は天邪鬼の誘惑に負けてやられてしまうがその後に復讐が果たされるので<誕生><試練><復讐>と物語が流れる。

レヴィ=ストロース型の物語分析

ここから日本昔話のレヴィ=ストロース型の分析を始めるが、あくまで私の知っている話を用いたデモンストレーションであり、日本昔話の様々なヴァージョンを扱う本格的な分析ではないので、以下の分析が日本昔話一般に応用可能だとは思わないでもらいたい(私が調べた範囲では無理)。前もって注意しておくが、以下の分析を読み終えても、読者は賢くなることはない(レヴィ=ストロース型の分析とはそういうものだ)

内外の二項関係

異常誕生ものと分類される昔話には内外を分ける基本的な二項関係が様々に変換されて描かれていることが多い。桃太郎は鬼が島へ行くが、ここにあるのは陸:島(海)の内外関係だ。かぐや姫は月に帰るが、ここにあるのは地:月(天)の内外関係だ。同様に、浦島太郎では海岸:海底の関係であり、一寸法師にあるのは川を渉っていくところの都会:田舎の関係だ。昔話の主人公はこれらの二項間を行き来するが、行って戻るか行ってそのままかは物語によって異なるし、持って帰ってくる宝も良き物も悪しき物もある。ここでは特に竹取物語と桃太郎に注目する。竹取物語ではかぐや姫は光る竹から見つかり、最後に月へと帰るが、どちらにも光が関連している。桃太郎では、主人公の生まれた桃は川で見つかり、その後は海にある鬼が島に行くが、どちらでも水が関連している。そして、かぐや姫の見つかった竹は地から天へと伸びるし、桃太郎が見つかった川は陸から海に流れるが、これらはどちらも物語中の内外の二項関係を結び付けている。つまり、竹取物語や桃太郎では共同体の内外関係のよりよき関係が示唆されていることになる。

竹取物語 桃太郎
地→月(天) 陸→島(海)
光る竹→月(光関連) 川→海(水関連)
竹は地から天へ伸びる 川は陸から海に流れる
自然の克服と文化の軽視

浦島太郎は海底にいすぎた失敗談だし、一寸法師は田舎から都会に行って成功する話だ。浦島太郎は海底の竜宮城での乙姫の優遇を経て海岸に戻ると老化する、一寸法師は都会に出て鬼を倒して結婚する。亀を助けた後で快楽に耽って自然に埋没した、つまり文化を軽視した浦島太郎は子孫を残すことが出来ず、鬼を倒して自然を克服した、つまり文化を重視した一寸法師は子孫を残すことが出来た。浦島太郎は結局は自然を克服できずに文化を打ち立てることが出来ない(海岸:海底=文化:自然)、一寸法師では大きくなれない主人公(=自然)がお椀(=文化)で川を渉って都に出て鬼(=自然)をやっつけて打ち出の小槌で大きくなって結婚(=文化)する、自然を克服して文化を獲得する過程が描かれている(都会:田舎=[鬼:結婚]:[一寸法師:お椀])。

自然の三項関係

桃太郎には三匹のお供が出てくる。犬と猿と雉だ。この三匹のお供の動物には、自然におけるある高低関係が隠されている。つまり、犬:猿:雉=地を這う者:木を登る者:空を飛ぶ者。こうした三項の高低関係は他の昔話にも見られる。カチカチ山では、ウサギが狸に仕返しをするが、まず山で狸の背中に火を放ち、その後に狸の火傷に唐辛子を塗りつけ、最後に狸を泥の船に乗せておぼれさせる。つまり、山から海へと下りているのが分かる(おそらく山:野:海)。花咲爺さんでは、まず犬が埋まった宝を見つけ、犬の墓から生えた木から臼を作り、その臼を焼いた灰をまくと花が咲く。ここでは地下:地上:空中と、段々と高くなる関係が見られる。二項関係にあるのが対立的関係なのに対して、三項関係に見られるのは包括的関係だ。三項で代表させることで、自然の全体を表わしている。自然を股にかけることで復讐や成功を得る。こうした自然の三項関係が様々に変換されて昔話には現われている。

猿蟹合戦の分析

猿蟹合戦は、猿に意地悪をされた蟹が栗や蜂や牛の糞や臼と共に猿に仕返しをする話だ(ただし蟹と一緒に仕返しをする仲間はヴァージョンによって異なる)。これらの仲間が何を意味しているかはこのままだと分からない。しかし、物語の中で見ると分かるようになる。栗は囲炉裏から猿を攻撃し、水で冷やそうとした猿を蟹が挟み、そこへ蜂が猿を刺し、外へと逃げる猿は牛の糞に滑って、高いところにいた臼が飛び降りて猿を押しつぶす。家の中にいた栗:蟹:蜂=火:水:空気であり、外(または戸口)にいた牛の糞は地を表わし、臼は道具を表わす。つまり、家の中では自然を代表する火:水:空気を手なずけ、家の外の方では肥料である牛の糞によって地を克服し、道具である臼が猿を倒すのは文化による自然の克服を表わす。家:外=文化:自然に対して、[火:水:空気]:道具=自然:文化というように、内外空間で分けられる二項対立が転換しており、文化による自然の取り込み:文化による自然の克服という対比が見られる。同様の対比は桃太郎にも見られ、陸(=内)でお供(=自然)を従え、海(=外)にある島で鬼(=自然)を克服する。ただし、桃太郎では主人公が人間なので、文化の要素は物語の中にははっきりとは描かれない(おそらく剣で鬼をやっつけているはず)。

  • 初心者向けのお薦め文献

ユング型やプロップ型の分析については次の著作が分かりやすい

グリム童話―子どもに聞かせてよいか? (ちくま学芸文庫)

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レヴィ=ストロース型に関しては、初心者向けとなると何といってもこれだろう。ただし、これだけでは分析手法の内実はさっぱり分からない。
はじめての構造主義 (講談社現代新書)

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代数的構造ぐらいはたとえ文系でも知っておくと勉強になる。次の文献は分かりやすいので、せめて始めの方(群)だけでも読んでおくとよい。もちろん、ガロア理論まで行けるに越したことはないが…
代数的構造 (日評数学選書)

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*1:私の印象では、数学経由の科学的構造主義ソシュール経由のフランス構造主義とは分けて考えると良い。レヴィ=ストロースは、ヤーコブソンの影響にも関わらず、前者に近い