デボラ・ブラム「幽霊を捕まえようとした科学者たち」

スピリチュアルものとしてよりも科学史として読む方が面白い

本のタイトルを見るとスピチュアルもの?と思ってしまうし、そう考えるのも間違ってはいない。著者は(生物学系の)サイエンスライターだけあって、当時の大衆的な動きを交えながら心霊主義騒動を面白く描いている。しかも、心霊主義を支持したのが当時の一級の科学者(ノーベル賞受賞者あり)であるところが現在からすると驚きだろう。しかし、それはこれを現在の反進化論論争のような大衆的な動きとばかり重ねあわせるから生じる印象だ。社会生物学論争も今となっては単なるお祭り騒ぎだった印象が強いが、今やグールドの影響を受けたエボデボやレオンティンの影響を受けたニッチ構築などの真っ当な科学が育っている。通俗的に科学vs宗教の問題と捉えるか、科学的問題である機械論vs反機械論の問題*1と捉えるか、でその人の印象は全く違ってしまう。現実にはこの二つの動きがややこしく混ざり合ってしまうので問題点を勘違いしてしまう。
おそらく理解の鍵はダーウィン理解にある。この著作ではダーウィン唯物論としてトマス・ハクスリーと一緒にされているが、実はダーウィン自身は(ダーウィンの番犬と呼ばれた)トマス・ハクスリーの極端な機械論には批判的だった。ダーウィン唯物論者だったのは確かだが、ウォレスの心霊論にも反対していたがハクスリーの機械論にも批判的だった。この本の主役である心霊主義の賛同者とされる心理学者ウィリアム・ジェームスだってダーウィンの進化論を支持していた。そういえば社会生物学論争でもダーウィン理解が鍵になっていたはずだ。当のダーウィン自身は慎重だったのであまり偏った説に肩入れしていないし、実際にダーウィンの著作で扱われたテーマも(一般に知られている以上に)幅広い。本当のダーウィンが何であるのかと問うのは困難だ。
エドワード・リード「魂から心へ」やエレンベルガー「無意識の発見」などの科学史(特に心理学史)の著作を参考にしながら読むとより面白く感じるだろう。19世紀における欧米の科学観は今のものとはかなり違っていたのだ。この本はサイエンスライターの書いた読み物なのでその辺に関しては甘い。当時はまだ物理学中心的な科学観はまだ出来上がっていなかった。それが出来上がるのは20世紀に入ってからである。当時は哲学と科学との区別でさえ曖昧だったぐらいだ。19世紀の欧米において、心霊主義的な考え方は新奇な考え方だった上に、そもそも心霊主義は当時の公的な宗教観にも反していたぐらいだ。現在の私たちの科学観や宗教観で判断するのは誤りだ。
しかし、現在の私たちはこの本に描かれている論争を単に笑って済ませられるだろうか(反進化論のバカと同じさ!)。そうも言い切れない。これを単なる科学vs宗教の問題に閉じ込めるのは不毛だ。科学的であることと還元主義的であることが端的に一緒にされる傾向は現在でも強い。例えば、脳に関する用語が入っているだけで(内容いかんに関わらず)科学的だと思い込む人は未だに多い。20世紀が物理学の時代だったように、21世紀は生物学の時代になりそうな気配が強い。そのとき、どのような科学観を持つかが重要な視点になるはずだ。私たちは過去を笑ってなどいられない。

幽霊を捕まえようとした科学者たち

幽霊を捕まえようとした科学者たち

*1:誤解されると思ったのであえて生気論とは書かなかった。この場合は、生気論を反唯物論として理解してはいけない。カンギレムの生物学哲学も参照