因果論的な機能主義を説明する

shokou5さんの質問に答えます。かなり大雑把な説明です。とはいえ、記事を書いたはいいけれど、はっきり言って分かりにくいです。理解できなくてもあまりがっくりされなくて平気です(こちらのせいです)。もちろん、私の理解が間違ってる場合もありますので、そこは各自のご判断でお願いします。

因果論的な機能主義の理論的側面

id:shokou5さんの疑問に関連させると、デヴィッド・ルイスの機能主義の定義が相応しいかもしれません。デヴィッド・ルイスは可能世界論で有名な哲学者で、可能世界論を用いて機能主義を定義しています。環境を固定させた上で、主体の状態を変化させたときにその主体がどのような反応をするかでその主体の心的状態を機能的に定義してみます。例えば、全ての環境を固定させた上でその主体の内的状態を変化させたときに、その環境下でその(特定の状態にある)人が目の前にあるケーキを食べるかどうかを確かめると、その人に「何か食べたい」という欲求があるかどうかが分かる、つまり「何か食べたい」という心的状態が環境内の刺激とその人の行動から機能的に定義されるとします*1。これは刺激(ケーキ)と反応(食べる)という因果によって心的状態(食欲)を機能的に定義しているので、因果論的な機能主義と呼べます*2。より正確には、「刺激→状態→反応」という因果変移と「状態1→状態2」という状態変移とが組み合わさって個々の状態が役割(機能)として定義されるのが、概念的役割意味論とも関連深い機能主義の考え方である。
しかし、パトナムなどによって批判されている通りにここにはいろいろな問題があります。shokou5さんの挙げている(将来も含めた)全ての因果は尽くせないとする批判はそのひとつだと思います。この場合、全ての因果は尽くせないのですから機能(の集合)を確定するのは不可能です。可能世界論を使っているので理念的には無限に観察されうるデータの全てを想定していることにもなりえますが、現実的にはかなりあやしいと言っても構いません。ここまでで既にshokou5さんの質問には答えているのですが、もう少し話を進めてみたいとも思います。なぜならここまでの話はまだ因果論的な機能主義の説明の半分でしかないからです。

因果論的な機能主義の実用的側面

前半は因果論的な機能主義の理論レベルの話をしました。後半では、素朴心理学の現実への適用という因果論的な機能主義(ルイスの以外含む)の実用レベルの話をします。
因果論的な機能主義は心理学理論を説明するための方法なのですが、その説明で例にとられているのが素朴心理学である。素朴心理学とは、私たちが日常で他人の心を理解するのに用いている考え方である。誰かが勉強をしているのを見たときに、彼は勉強家だとかテストでいい点を採りたいからだといった理由による説明をするのに素朴心理学が使われる。その同じ人物が、テストがあることを知らないときにも勉強をしているかで勉強家かどうか判断されたり、テストがあるのに勉強しないのを見て今回のテストではいい点を採りたいと思っていないと判断されたりする。こうして素朴心理学によってその人の欲求や信念を観察される行動から推測している。つまり、こうした現実の因果的な関係(例えばテストあり→勉強する)と理由による説明(例えばいい点を取りたいからだ)をもって私たちは素朴心理学を理論として利用しているといえる*3。そして、科学的な心理学理論でも素朴心理学は転用されている。科学的な心理学理論に用いられる視覚(見る)だの思考(考える)だの記憶(覚える)だのといった心的状態を表わす用語は(欲求(欲する)や信念(信じる)の用語と同様に)素朴心理学からそのまま借りられている*4。実は素朴心理学を否定する消去主義の考え方もあるのですが、それはここでは考慮に入れません。
実際のところ、科学研究でも普通に素朴心理学の用語が転用されることになるし、それ以外のマシな選択肢も今のところ特にない。実験室で行なわれる(心理学的)課題は、素朴心理学からの類推で視覚研究だの思考研究だのと分類されることになる。この場合は、脳状態の測定は反応というよりも単なる状態の測定に近い*5。例えば、ある色の紙を目の前に提示した後に、しばらく目隠しをしてもらってから、目隠しを外してどの色を見たのかを複数の色紙から選ぶ、という実験を想定する(実際の実験はもっと厳密)。きちんと正しく色を選択できていれば(まぐれ当たりでない限り)提示された色紙の色を見てその後にその色を覚えていたことが分かる。この場合、(提示だけでは見たと確定できない)色紙を見たことと色を覚えていたことが、色紙提示の刺激と色選択の反応から推測される、言い換えれば(客観的に観察可能な)刺激と反応から(因果的に)心的状態に対して役割(機能)が定義される(ここで素朴心理学が使われている)。その結果、実験中に心的状態が「見る→覚える→選ぶ*6」と移っているのが分かる。脳の測定はこれらの心的状態に対応する脳状態を測っていることになる(ここで大雑把にトークン同一性が前提される)。

最後に

ちなみに、意識研究の面倒なところは、意識するという状態そのものを外から観察することはできないのであり、意識的に見る(例えばよく見ないと分からない課題)や意識的に考える(例えばよく考えないと答えられない課題)といった形でしか観察できないことだ。また、日常からあまりにかけ離れた特殊な実験課題の場合は、素朴心理学との類推が困難なのでその実験時の心的状態の機能的定義も困難になる。ちなみに、たとえ現時点では意義を全く持たない脳活動が発見されたとしても、それは何だか分からない脳活動でしかない(経験科学でクオリアとの結びつきを見つけるのは原理的に不可能)。

  • 参考サイト

パットナムの機能主義批判(PDF) http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/24547/1/1909.pdf
読みやすさでは私の書いた記事よりこちらの論文の方が上かもしれないが、ただし因果論的な機能主義(ルイスや一時のパトナムやセラーズ*7)への言及が少なすぎる。

おまけ(実験例の表)

三者的に観察できる項目だけ埋めてあります。空欄は各自で埋めてください*8

本文で取り上げた実験例
STEP1 STEP2 STEP3
刺激 色紙 なし 選択肢
状態
反応 正答選択
心的回転の実験例
STEP1 STEP2 STEP3
刺激 回転図形 同じ図 同じ図
状態
反応 (反応時間) 正否選択

*1:話がややこしくなるのでケーキ好きだからおなか一杯の時でも食べるっていうのは除いているが、「ケーキ好き」も機能的な定義を(他の心的状態から)因果的に導ける。例えば、ケーキだけは他の食べ物と違ってどんな状態のときでも食べるとか

*2:各種機能主義には正式な分類も呼び名も固定化してない。今回紹介したのは英語でCausal Functionalism

*3:ここで理論説に対するシュミレーション説による反論と言うのもあるが、ここでは省略

*4:言語行動(話す)は素朴心理学に分類されないが、そもそも素朴心理学は言語と共に日常で学ばれる。ただし、ここの説明では素朴心理学の習得や修正には触れていない。ちなみに、言語学で用いられる文法的正しさや意味的正しさの判断も(文刺激への反応として)機能主義的に理解可能だ

*5:反応と状態との区別にあやしいところがある。これは機能主義における入出力概念が持つ欠点だ。例えば心拍数は反応か状態かどっちなのだろうか

*6:選ぶは心的状態ではないけど面倒なので略

*7:ここにアームストロングを含ませるべきかどうかは私の印象では微妙。ちなみに、アームストロングはたまに心脳同一説に分類されることもあるが、実際は機能主義が妥当。アームストロング程度の心脳同一性ならルイスも使っている

*8:刺激・他の状態・反応の内の二項目に囲まれていれば状態を因果的に定義しうるみたいなゲームだと説明したら、いくらなんでもそれは言いすぎだろう(実際に無理があるし)