そこでただ突っ立ってないで、考えなさい(後篇)

(中篇)の続き

神経科学者が特に興味を持っていることは運動が抽象的思考にさえ演じている役割だ。
ゴールドバーグは腕の運動の言語理解への影響を調べた幾つかの研究を行なった。ゴールドバーグの仕事では、被験者にコンピュータ・スクリーン上の一連の単語が意味を持つのかどうかを判断させた。 答えに対して被験者は自分自身に向かってボタンを引くか自分自身から離れるようにボタンを押すかをした。
ゴールドバーグが見つけたのは、文にある動きとすべき反応である動きが合っているときに、被験者が早く正しく答えることだった。例えば「アンディはピザをあなたに届けました」と言う文では、向こう側に押す反応よりもこちら側に引く反応の方が、被験者は文の意味をより早く識別できた。もし文が身体的運動を全く描いていなかったら反応時間は同じだが、「リズはあなたに話した」や「アンは権限をあなたに委任した」のような比喩的な相互作用では違った。
これが意味するのは「この言語がもっと抽象的なときでさえ、身体的な行為の用語として、実際に私たちはこの言語を理解している」ことだ、とゴールドバーグは論じている。
言語学者認知科学者や哲学者の中にはもっと先に進む者もいて、人の思考のもっと複雑で深遠な側面でさえその源は体にあるそうだ。言語学者ジョージ・レイコフ(カリフォルニア大学バークレイ校)はラファエル・ヌニェス(カリフォルニア大学サンディエゴ校の認知科学者)と共の数年間で、集合論から三角法や無限概念までの数学の大部分は宇宙の不変の特性からではなく人の脳と体の進化的歴史から導き出された、との議論を発展させた。彼らが論ずるには、私たちの数のシステムと足し算と引き算の理解は、私たちが歩幅で距離を区切る二足動物である事実から生まれたという。
「私たちが車輪を持っていて蛇のような体で地面を這い回っていたら、数学はかなり異なっていたかもしれません」、とレイコフは主張します。
これらの考えは数学者の中で激しい反対に合いましたが、この考えは有望だが実験的結果のまだ不完全な組み合わせの無理のある読み方を反映していると考える認知科学者の中でも同様に批判された。
アーサー・マークマン(テキサス大学の心理学教授)は語る。「私はこれらの成果は実際のところ空想的であるが、心と体の間の多くの結びつきがあるのははっきりとしていると思います」。 高次認知の源が私たちが歩いたり目や腕を動かしたりする仕方のように基礎的な何かだということを彼は疑ったままでいる。
マークマンは語る「何時であれ、科学には熱中があり『すべてこれのせいだ』と言う傾向があります。しかし、心理学における問題はそれが全てではないことです、さもなければ私たちは既にそれを解決し終わっているでしょう」
身体化された認知が若い分野のままでいる一方で、これは私たちが教育にどう取り組むべきかを考え直すように指し示していると考えている専門家もいる。 アンジェライン・リラード(バージニア大学の心理学教授)は、一つの可能性としてイタリアの教育者マリア・モンテッソーリがおよそ百年前に広げた教育法に目を向けることを挙げている。これは何十年間も主流の教育者によって無視された説である。 モンテッソーリ法の鍵は、子供が動きや物の扱いであふれた生き生きした環境でこそ最もよく学べるという考えです。モンテッソーリ学校では、子供が紙やすりの文字をなぞってアルファベットを学び、積み木と立方体を使って数学を学び、身振りを交えながら文を読むことで文法を学びます。
リラードにとって、教育における身体化された認知の価値は分かりきったことだ。
彼女は言う「私たちの脳は激しく移り変わる環境で役割を果たすのを助けるために進化したのだ。つまり脳によって動き食物を見つけ捕食動物から逃げるために。教室で椅子に座って誰かの話を聞いて言葉をオウム返しに繰り返すのを助けるために進化したわけじゃない」
writer:Drake Bennett
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