方法論は各分野に内在、理論的には分野を超えて交流可能

認知科学(つまり認知的研究一般)が単なる一時的な流行を超えて今でも受け入れられている最大の理由は、具体的な研究の方法論は各専門分野に任せることによって研究分野の自律性を保ち、それでいて理論的には分野を超えてのコミュニケーションを可能にしていることだろう。専門分化と学際化の両者に対応できている領域なんてそうめったにない。
主な方法論については、認知科学の初期六大分野の例で挙げると、心理学は実験や観察、言語学言語学的分析、人類学はフィールドワーク、哲学は概念分析や思考実験、人工知能はシュミレーション、神経科学は臨床研究や脳画像研究など。最近は参入分野も増えているが、研究手法の問題は各分野に任されている実情に変わりはない。方法論の問題は各研究分野に任せることで、各研究分野の自律性を保ちかつ新たな分野からの参入もしやすくしている。認知科学が学際領域として今でも(かろうじて?)生き残っているのはこれが理由だろう。少なくとも方法論の押し付けはないし、元々その分野に蓄積されている成果も活かしやすい。ただし、どのような方法なら認知科学の研究として認められるかの基準が確固としてある訳でもないが、過去の例からして新しい方法が徐々に受け入れられる傾向はある(例えば認知考古学)。何が受け入れられるかは、科学者間のコミュニケーションの中で定まるしかないだろうが。
理論と言っても、もちろん多くの科学理論は各研究分野の成果に則っている限りでは、各専門分野に内在していて専門外の人には理解しにくいことが多い。しかし重要なのは、にも拘らず分野を超えたコミュニケーションが可能であり、場合によっては分野を超えた理論構築も可能なことだ(ただし実際にそれができる人材は必ずしも多くないが)。これから専門分化がさらに進めば分野を超えたコミュニケーションは困難になるかもしれないが、今はまだそこまでひどくはない(ただし兆候はある)。少なくとも、現時点では人の認識を理解するという問題意識や目的意識がまだ共有されているので、コミュニケーション不可能にまでは行っていない。情報処理だの機能主義だのといった基盤もまだ緩い形でなら前提されているといえる。それがいつまでも続く保証があるわけではないが、目的と基盤が共有されている限りはコミュニケーションは可能になる。そして、方法論はあくまで各分野に内在されているので、(哲学を例外にすれば)話が極端に宙に浮くことも少ない。
しかし、このような状態がいつまで続くかはよく分からない。専門分化の傾向はすでに進んでいるし、認知科学から独立したかのように振舞う研究領域もある。最近は通常科学化と新規参入が目立つとはいえ、これからも認知科学なる領域が価値を持ち続けるかさえ分からない。だが、日本での認知科学への認識度の低さを考えると、せめてもっと理解ぐらいはされてもいいだろうとはつくづく思う。