神経経済学についてネットで調べてみた

神経経済学に関しては、入門書が最近翻訳されたようなのでそれを読んだ方がいいとは思うのですが(日経新聞の書評は読んだが)、いろいろと億劫に感じてきているのでいつ読むか分からない。でも、どうでもいい単なるおしゃべりぐらいは書いてみたくなる。
ネットで調べて困ったことは、行動経済学と神経経済学と実験経済学とニューロマーケティングがごっちゃになっていることだ。まず、ニューロマーケティングはビジネス受けを狙ったっぽいところがあって、安易に神経経済学と一緒にするのは真面目な研究者にとって迷惑そうなのでやめた方がいいと思います(Neuromarketing - Wikipediaも参照)。実験経済学は最後通牒ゲームのような既存の心理学には収まりにくいタイプの実験をする領域だと私は理解している。問題は行動経済学と神経経済学の違い。まず行動経済学とは経済行動を認知心理的に調べる領域である。wikipediaのNeuroeconomicsの項目では、神経経済学は行動経済学に神経画像研究を組み合わせたものとなっており、私自身がそんなものだと思っていたものに近い。しかし、こちらの記事辺りを見ると、行動経済学認知科学的なのに対して神経経済学は行動主義的だとなっている。確かに神経科学に行動主義的枠組みの研究があることは聞いたことがある。一応、英語のサイトでも少しだけ調べたけど神経経済学の正しい定義はよく分からない。神経経済学が認知科学的なのか行動科学的なのかは結局よく分からない。
で関連した話だけど、元記事は読んでないんであまりいろいろは言えないけれど、「ゲーム理論と神経経済学」や「神経経済学の夢と悪夢 」を読んでいると(相変わらず)う〜ん?とうなってしまう。『人々がプレイしている「真のゲーム構造」』っていったい何?少なくとも認知科学的には行動から内的過程を推測するんだから、知りようがない「真のゲーム構造」なんて持って来たら要するに反証不能で経験科学にならない(悪いけどクオリア論と同じ匂いがする)。これなら認知科学的と行動科学的との違いとして論ずる方がよさそうだ(「誘惑される意志」の書評も参照)。それから、(利他的懲罰という言葉遣いには突っ込まずに置いといて)「利他的懲罰がじつは発動者の快楽のためだった」ってのは因果関係を思わせる誤解を招く言い方で、利他的懲罰は発動者の快楽を伴うといった相関的な書き方が妥当(少なくともそういう因果を知る方法を私は知らない)。ちなみに、因果か相関かは研究の内実からだいたい区別できるのであって、ヒューム的に「すべてが相関だ」ってのは話が極端。こうした辺りの話はもっと深めることもできそうだけど面倒なのでやらない。
ちなみに、こっちの記事辺りを読んで思うことは、欧米じゃ心理学者でも経済学者でも言語学者でも人類学者でも神経学者でも、いろんな異分野の人たちが普通に協力して共同研究しているのに、日本では縄張り意識が強いせいかそうはなりにくいことだ。いちいち他人や他分野への非難や言い訳によって自らのアイデンティティを保っているかのような人が目に付く日本はつくづく面倒くさい。