正統性を英語圏のサイトで確保する

日本の面倒なところは、正統性を国内で確保することが困難なことだ。だから、英語圏のような外国に正統性を頼らないといけなくなる。私が単にこれが正しいといっても駄目そうなときは、しょうがないので英語からの翻訳に頼るはめになる。
例えば、下で行なった進化心理学の説明がそうだ。進化心理学の意味をむやみやたらに広げるのはもうやめてほしいと思う。人間が進化によって生じたことを否定するなんて、今更まともな科学者ならしません。争点は最初からそんなところにはありません。進化心理学はモジュール論的な本来の意味で使って、より一般的に語りたいときには「人間行動と進化」のようなゆるやか言い方をしてください。トマセロが言語進化の話をしているからといって、彼らを進化心理学の人とは呼ばない。最近の進化心理学(と呼ばれるもの)はモジュール論と社会生物学(となぜなぜ物語?)が混ざっていることをせめて自覚してぐらいはしてほしいと思う。
それから、こちらの本(ISBN:4121019865)は前半で科学哲学が後半で心の哲学が話題になっているのだが、哲学史についての記述はとても参考になるけれど、現代的な心の哲学に関しては(間違っているとまでは言わないが)それほど当てにならない。なんだか、著者の専門であるデカルトの話をするためにダシに使われているだけという印象がする。勝手がよく分かっていない専門領域外の話をいちいち新書で出す必然性がまったく私には分からない。例によって随伴と付随の区別がついていなくて困る。しょうがないので信用できるサイトから最小限の説明部分を訳してみた。

随伴現象(Epiphenomenalism)とは、心的出来事は脳の中の物理的出来事によって起こるのであって、物理的出来事に対しては影響を及ぼさないという考え方だ。
Epiphenomenalism (Stanford Encyclopedia of Philosophy)より

付随(Supervenience)をスローガンにすると「一方に違いがなければ他方にも違いはありえない」である…(略)…付随は分析哲学の重要な考え方で、ほとんどの分野に関連している。例えば、美的・道徳的・心的な属性は物理的属性に付随する(supervene)と言われる。
Supervenience (Stanford Encyclopedia of Philosophy)より

随伴現象が問題にされるのは主に意思論(意思に因果関係はあるか。例えば「意思は腕を動かせるのか?」)であり、付随が問題にされるのは主に意識論(意識と脳の関係はどうか。例えば「脳の状態が異なれば意識の状態も異なるのか(またはその逆は?)」)である。