加國尚志「自然の現象学」

自然の現象学―メルロ=ポンティと自然の哲学

晩年メルロ=ポンティの講義に基づいた解説だが、彼の問題意識は分かるようになるが、哲学内容にまでは至れない

晩年メルロ=ポンティの自然講義に基づいて、晩年メルロ=ポンティの問題意識を炙り出した興味深い著作。ただし所々で説明が足りないので哲学史の知識なしでは歯が立たないかもしれない。たとえそのハードルを乗り越えても、晩年メルロ=ポンティの問題意識まではよく分かっても肝心の哲学内容には入り込めてないのでモヤモヤ感は残る。著者は読みやすい表現を目指したとしているが、そもそもの内容が高度なので結局は玄人向け。
メルロ=ポンティは知覚について科学的成果を参照しながら考察した「知覚の現象学」で有名な哲学者。この著作ではそのメルロ=ポンティが晩年に行なった自然に関する講義に基づいてその問題意識を炙り出そうとしている。著者自身が序で指摘するように、これは厳格な文献学的な解釈というよりも問題の所在を探る問題史的解釈を目指している。そのおかげでこれを読むと晩年メルロ=ポンティの問題意識は理解できるようになるが、その反面で哲学内容にはあまり入り込めていなくて、メルロ=ポンティにおける肉を始めとした哲学的キーワードの紹介より先には進めない。
難解どころの哲学内容には大して入り込めていない割にこの著作が難解に感じてられる理由は、あちこち説明が足りないせいである。メルロ=ポンティの肉やフッサールの大地などの重要概念を始め、様々な哲学的概念に言及されているのだけれど説明が足りないので哲学史の知識がない読者は躓かざるを得ない。日本の幾多の箸にも棒にも掛からない人文書と違って哲学者の問題意識の迫った著作として興味深い著作だと思うのでそこはもったいない。
肝心の内容だが、第一章は現象学の影響を本格的に受ける前の初期メルロ=ポンティ著作「行動の構造」をフッサールの哲学と比較し、第二章は晩年メルロ=ポンティの自然講義に基づいて彼の哲学史観を探り、第三章で同じく晩年の自然講義に基づいて彼の自然科学解釈を紹介している。全体に流れがあるので各章が完全に独立ではないだが、何と言ってもこの著作の白眉に当たるのは第二章である。第二章に比べると、直接的な影響の少ない頃の著作にフッサールの哲学との類似点を無理矢理にでも見つけようとする第一章はその点に関して言い訳がましいし、第三章も文献学的な正確さを目指していないが故に当時の科学と現代科学の間の差に中途半端に目が向いてしまってこれまた言い訳がましい。確かに第二章は哲学史の知識がないと読みにくいが、メルロ=ポンティ哲学史観を探るのは著者の方法である問題史的解釈が好都合に働いている。第二章ではメルロ=ポンティが自然を生きたものとして捉えようと格闘していたことがよく分かるようになっている。
ただ改めて注意しておくと、哲学史の知識を乗り越えて最良の第二章をうまく読めたとしても、メルロ=ポンティの問題意識はよく分かっても肝心の哲学内容はよく分からないままだ。メルロ=ポンティの肉やフッサールの大地といったキー概念は示されるが、それが何なのかはあまり説明されない。しかし日本には問題意識になど欠片も目を向けない人文書も多い中で、少なくともメルロ=ポンティの問題意識を炙り出そうと努力している点ではこの著者に拍手を贈りたい。

フッサールの基づけ関係について少々

この著作はともかく色々と説明が足りなくて生半可な知識で読んでもよく理解できない。そのハードルを乗り越えても分かるのはあくまで…、といった部分は既にレビューで書いたので、ここでは単に哲学史科学史の知識では補えない所だけを説明したい。
ここでは第一章で出てくるフッサールにおける「基づけ」関係について説明したい。私の知っている範囲ではこのことについて分かり易く説明している文献は日本にはまずないと思う。というのも、これを説明するには現象学だけでなく分析哲学の知識もあった方が理解しやすいからだ。
基づけは「論理学研究」に出てくる概念だが、現象学の本ではあまりうまく説明してくれない。基づけは全体-部分関係に関わる概念で、ちなみに分析哲学では境界を扱うメレトポロジーを用いて形式化されている。全体と部分が切り離すことができないときにそれらは基づけ関係にあると言われる。
分析哲学でよく出される例はフッサールがモメントと呼び分析哲学ではトロープと呼ばれる概念がある。モメントやトロープとは具体的な性質(例えば特定の赤さ)のことであり、個物はモメント(トロープ)の集まりとされる。この場合モメント(トロープ)は特定の個物なしには存在し得ないので、モメント(トロープ)と特定の個物は基づけ関係にあるとされる。モメント(トロープ)の話は今回は置いとくとして、この著作で問題になっているのは領域存在論での基づけ関係である。フッサールは物理的秩序と生命的秩序と人間的秩序と三つの秩序に分けているが、これらの前後の秩序は基づけ関係にある。つまり生命的秩序の中に物理的秩序は含まれているがこれらの秩序を別々に分ける事はできないので、物理的秩序と生命的秩序は基づけ関係にある。生命的秩序と人間的秩序にも同じことが成り立つ。ちなみに領域存在論での基づけ関係についても分析哲学ではGroundによる形式化があるが、あまり面白くない話なので省略。
…とここまで説明しといて何だが、こうしたフッサールの考え方がメルロ=ポンティを理解する上でどの程度役に立つかは怪しく、ただ生命的秩序と人間的秩序といった上位の秩序が物理的秩序とは異なる全体性を持っているのであり、それを理解することが生きた自然の理解につながる。第二章はそうした問題意識を様々な哲学者の考え方を紹介しながら炙り出しており、個人的には好きな章ではあるけれどお世辞にも読みやすい章ではない。そうした問題意識を象徴する概念が既に挙げた肉や大地の他にもシェリングの直観やホワイトヘッドの移行などもあるが、こんなに色々な概念が取り上げられる割にそれらがいまいち何なのかはよく分からないのは、目の付け所が良い著作と思うだけにもったいない。

自然の現象学―メルロ=ポンティと自然の哲学

自然の現象学―メルロ=ポンティと自然の哲学