バンジョー、ソウザ「認識的正当化」への偏った感想

認識的正当化―内在主義対外在主義

お世辞にも読み易くはないが、中級以上向けの分析的な認識論の本として興味深い本

分析哲学の認識論については戸田山和久知識の哲学 (哲学教科書シリーズ)」を既に読んでいて、これは分析哲学入門としても優れている大傑作なのだが、しかしそれ以外に(一部古典を除けば)認識論の本を読む機会はほとんどなかった。今回、機会があって「認識的正当化―内在主義対外在主義」を読んでみたのだが、中級以上向けの認識論の本としては良い本だと思う一方で、他方でそんなことは実際に実験や調査して調べるのでなければ後は言葉の定義の問題じゃん!とも思ってしまった。自分としては「認識論いらない」説のローティや「認識論の自然化」論のクワインやそれらを共に採用する実験哲学者としてのスティッチへの共感は、この本を読んだ後でも特に弱くならなかった(むしろ強化された?)。
本当はこの本のまっとうなレビューを素直に書くつもりだったのだけれど、自分が認識論に詳しくないのとそもそも認識論に共感が持てないのとで客観的なレビューを書きにくい。よって以下は個人的な感想をかなり交えて語る事にした。この本自体は良い本だと思うので、私の論じる勝手な見解に関わらず興味があるなら(ある程度の認識論の知識は持った上で)読めばいいと思います。
内容はバンジョーとソウザが別々に書いた認識論の論文が収録され、さらに相手の論文に対する応答も付いている、という構成になっている。当の本体の論文だが、ソウザの論文の方が読みやすいのでこっちを先に読む方がお勧めだが、論文の構成の分かりやすさの点ではバンジョーの方がすっきりしていている。バンジョーの論文は短い中に内容を詰め込んでいて読みにくいが、外在主義と整合主義を批判して基礎づけ主義を支持するという議論そのものは分かりやすい。対してソウザの論文は前半の軽い概論的な議論は読みやすいが、後半になると徳認識論を支持している事だけははっきり分かるが、それが他の立場とどういう関係にあるのかが分かりにくい。結果として本体の論文だけではバンジョーとソウザがどこで対立しているのかよく分からない。とはいえ、相手の論文への回答が付いているのでこれを読めば理解を深めることができる。
この本の分かりにくさは、この本のサブタイトルにあるような内在主義vs外在主義という対立がそのままで成立している訳ではないことにある。むしろ原題のサブタイトルにもある基礎づけvs徳の対立の方が相応しい気もするが、そもそも基礎づけと徳が対立する立場であるかどうか自体が怪しい。確かにそれぞれが支持しているのは内在主義的基礎づけ主義と外在主義的徳認識論ではあるのだが、これらがどこまで対立しているのかは回答まで読んでも明確にはならない。というか皮肉な事に、バンジョーが論文で内在主義と外在主義の違いは一人称と三人称の違いでしかないと言っていたり、ソウザが回答で基礎づけ主義と整合主義は対立はしていなくて両立できると言っていたりと、対立的な論争が無理矢理に作られてるだけ感はしなくもない。
さらに、注意を伴った気づきだけで正当化に足りないのなら注目もあればいい(p.254)といった議論を読むと、そんなの気づきという言葉の定義によって何とでも言える話だし、そもそもそうした争点は実際に実験や調査して調べれば済む話じゃないかという印象も拭えない。結局の所、私の中の「認識論いらない」説や「認識論の自然化」論はなかなか論駁されずに残ったままだ。
とはいえ、この本の本当に面白い所はそれぞれの著者が支持している説について論じている部分(感覚経験の概念化と徳認識論)なのだが、それは論文の後半でのみ論じられているので物足りない感もある。それはこの本が単なる専門家向けではなく認識論を学ぶ学生向けでもあるせいか、自分が擁護している以外の立場にも一通り言及しているためかもしれない。徳認識論については日本語で読める文献として貴重ではあるが、バンジョーが回答で指摘しているようにソウザの知的徳の定義は独特らしいので注意が必要かもしれない。確かに「正当化を生み出すのが知的徳である」と「知的徳を通せば正当化された真なる信念が得られる」を組み合わせるのは単なる循環論法でしかないし、その後の可能世界論による知的徳の定義も現実世界では騙されることがないことが前提にしかやっぱり思えないので、徳認識論ってこんなもんなの?と疑問に感じてしまう。それに比べればバンジョーが感覚経験から外界を現象学的に構成していく議論は入り口しか論じられてないとはいえ面白い。だが、そもそもそれは感覚経験から外界を構成する超越論的な議論でしかなくて、本来の問題であるはずの所与の神話批判(セラーズのジレンマ)に答えられているのかはどうも怪しい。
いろいろと勝手な事をごちゃごちゃ言ってきたけれど、このテーマに興味のある人ならば面白い本だと思います。決して悪い本ではないと思うが、ただ私の中の認識論へのモヤモヤ感が解消されなかっただけです。

認識的正当化―内在主義対外在主義

認識的正当化―内在主義対外在主義