橋爪大三郎「国家緊急権」
「国家緊急権 (NHKブックス)」
一般には馴染みの薄い国家緊急権について分かりやすく論じられた希少な傑作
国家に緊急事態が生じた時にそれに対処するために、政府が一時的に憲法や法律を無視してでも迅速な行動がとれるようにするために必要とされる、国家緊急権について分かりやすく論じた良書。一般には馴染みのない国家緊急権について「憲法とは何か?」といった基礎から説明しながら、その必要性と問題点についてまで見事に議論が展開されている。第六章のアベノミクス批判はちょっと余計だと思うが、それ以外は高度な内容が読みやすく書かれていて、誰にでもお勧めできる。橋爪大三郎の著作としてもトップクラスの出来であり、著者の意見への賛否に関わらず国家緊急権についての一般向けの書として貴重な一冊です。
先年の東日本大震災によって原発事故が起こったのだが、その際は皆が放射線の恐怖におののいた。そうした突発的な大事故や大災害の際には人々の安全を守るために政府が緊急避難などを発令することになる。しかし、そうした緊急事態の時に政府がどうすればよいかは法律に書かれている訳ではないし、すでにある法律で対処できる事態でない可能性も高い。それどころか憲法が緊急事態への適切な対処に対する障害になることもありうる。だから緊急事態においては一時的に政府は人々の安全のために憲法を無視した行動をとる必要も出てくる。そうした緊急事態で政府が人々のために自由に行動できるようにするために考えられたのが国家緊急権である。
この著作は国家緊急権について「憲法とは何か?」や「軍とは何か?」といった基本に遡って分かりやすく説明し、それが国民の安全のために必要なことや悪用されると独裁に陥る危険性があるなどの国家緊急権に関する必要な議論を一通り見事に論じている。読者の側にあまり知識がなくても理解できるようにうまく書かれているので、高度な問題を論じている割にはとても読みやすい。巻末には国家緊急権に関連した資料集も付いており至れり尽くせりだ。私の印象では橋爪大三郎による著作としても軽く五指に入るほどの傑作(到達点?)であり、ともかくお勧めしたい。
全体的に読みやすくいよく出来た著作でなので大きな欠点はあまり見当たらないのだが、第六章の終わりにあるアベノミクス(のリフレ政策)への批判は蛇足に感じる。ハイパーインフレが起こるから…というリフレ政策批判はあまりに初歩的な批判すぎて説得力がない。どうせ国家緊急権とリフレ政策は直接に関係がある訳ではないのだから、こんな中途半端な批判なら(偏見を招くだけなので)する必要はなかった。あと個人的に気になったのは、この本と同じテーマを扱った有名な政治学者であるカール・シュミットへの言及がないのは不可解だが、(学術書ではない)一般向けの著作として議論を複雑にしないためだとでも思えばそこは許せなくもない。
国家緊急権についてこんなに分かりやすく論じた著作など他にないのだからそれだけで読む価値がある。私自身は軍と警察の違いについての説明の分かりやすさには特に感心してしまった。著者の見解に賛成するのであれ反対するのであれ、これからこのテーマを議論をするための叩き台として是非読んでおきたい。
おまけ(を付けるから記事として出すのだが)
この本では国家緊急権が憲法に明示されるべきかが問題にされている(ちなみに著者は明示する必要はないという意見のようだ)。私は巻末の資料集にある各国の国家緊急権の規定の項目を眺めていたらある事に気がついた。不文律としてのマーシャル・ローのある英米では憲法への国家緊急権の明示はないが、フランスやドイツのヨーロッパ大陸の国では憲法ではっきりと規定されている。それで気づいたのだが、国家緊急権が憲法に明示されるかどうかは独立した問題ではなくて、その国の政治-行政制度がどのようなものかによって違うのだと思う。以下では、面倒なので政治-行政制度についての把握は「日本の統治構造―官僚内閣制から議院内閣制へ (中公新書)」に全面的に依拠する。
英米では(成文憲法がないイギリスも当たり前ながら)国家緊急権が憲法に明示されない(かわりに関連した法律がある)が、これはイギリスでもアメリカでも権力(執行権と立法権)が(独裁に陥らない程度に)集中しやすいからではないかと気づいた。イギリスでは制度上で首相に権力が集中しており、緊急時にはその集中が一時的に高まるだけだと考えられる。アメリカの場合は制度上は権力(執行権と立法権)が分立しているが、現実には大統領に権力が集中しやすい傾向があり、緊急時にはそれがより明確に集中されることになる。つまり、英米では権力(執行権と立法権)を集中させるべき対象が元から明確なので、いちいち国家緊急権を憲法に明示せずともその発動は憲法にそこまで矛盾が強くは感じられない。対してヨーロッパ大陸諸国では制度上で英米ほど権力が集中することがないので、緊急時にははっきりとどこかに権力を集中させる必要がある。こうした一時的な権力の集中は憲法上の制度と明確に矛盾するので、憲法の内部で規定する方が自然に思えるのかもしれない。要するに、国家緊急権を憲法に明示させるべきかどうかはそれだけで独立した問題というよりは、(憲法上で規定されたものを含めた)政治-行政制度との矛盾の程度によって決まる問題である。じゃあ日本はどうすべきかは勝手に考えてみてください*1。
第八章では国家緊急権を発動してしまった後で、事後的にその評価をする事が問題になっているが、逆に国家緊急権を発動させずに多大な被害がでたときの責任に触れられていないのは手抜かりに感じる。どうも著者は行政の長は国民の安全のために国家緊急権を発動させるはずだ(だから独裁の問題に集中すべきだ)としているようだが、それはあまりに良心に頼りすぎてるように思う。実際には必要な時に国家緊急権を発動させられない危険性はもっと高いと思う。国家緊急権を発動させずに多大な被害がでたときの責任についても一応議論しておけば完璧だったのに…と惜しい。
- 作者: 橋爪大三郎
- 出版社/メーカー: NHK出版
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*1:立憲主義と民主主義の関係についても個人的に調べていて言いたい事がない訳でもないが、話がズレるので詳しくはしない。とはいえ、最終的な憲法解釈は誰がするのか?という問題を含むから、これを書いてる時点ではタイムリーな話題ではある。大雑把にいえば、最高裁判所に最終的な憲法解釈の決定権があるアメリカ型(民主的じゃない!)と独立した憲法裁判所が違憲判決を出すドイツ型(政争が繰り返される!)があり、一見日本はアメリカ型にも見えるが、裁判所が違憲判決を出すことが少ない上に内閣法制局が大きな影響力を持つ日本は、大統領制でもないが単なる議院内閣制とも微妙に異なる官僚内閣制であることと平行関係にあるような気がする。まぁ、どうであれ最終的な憲法解釈権を特定の政治家が握るなんてことがありえないことだけは確実だ。とりあえずはこれらを参照のこと→wikipedia:違憲審査制とConstitutionalism (Stanford Encyclopedia of Philosophy)