近年の一般向け人工知能論はこれ一冊で十分、ジェリー・カプラン「人間さまお断り」
既存の人工知能脅威論とは一線を画する社会の中に浸透する人工知能について論じた傑作
近年になって英語圏で人工知能脅威論が流行りだしたのを知ったの一応それなりに早かったのだが、現実の人工知能が実際の人間の知性(心)とは全然違っていて同じにはできないことは既に知っていたので、昔(1980年代頃)流行った人工知能脅威論の再来程度にしか思っていなくてそれほど関心は持たないでいた。とはいえ、その時は欧米で流行っている議論が日本ではほとんど知られていなかったことには、これだけのネット時代なのになぜ?と苛立ってはいた。その後、輸入された人工知能脅威論は様々な記事や書籍で出されるようになってそのいくつかは読んだが、あまり満足できるものはなかった。正直この本もそうした本の一つ程度にしか思わず期待せずに読み始めたのだが、その内容の面白さと素晴らしさに舌を巻いた。はっきりいって、最近の一般向け人工知能論としてはこれ一冊あれば十分であとはいらない(これ以上詳しく知りたければより専門的な森に入らざるを得ない)。私の中では現時点で今年出版された本として暫定一位を挙げていいぐらい感心した。
私はもともと認知科学オタクなので人工知能の基本知識はそれなりに持っている。とはいえ、私の持っている知識は二十世紀後半の「人の知性を理解するためにそれを再現する」という目的を持った認知科学の一部としての人工知能であって、近年になって浸透していった人工知能とはちょっと違う。著者のジェリー・カプランは元人工知能研究者で昔の人工知能研究の状況も知っていて、この本でも始めの方でその辺りの歴史には触れている。私のような元認知科学オタクはジョン・マッカーシーの名前が出てきただけで興奮してしまった。
まぁそういう私の性癖はどうでもいいとして、そんな私でも最近になって急激に発展した人工知能について(細かいところは無理でも)そこそこになら分かるのは、認知科学の一部だった頃の人工知能についての知識が応用できたからだ。認知科学の一部としての人工知能は大きく古典的人工知能からニューラル・ネットワークや自律的ロボティクスへという流れにあったが、これがそのまま著者が言うところの記号システム、合成頭脳(機械学習)、労働機械へと大雑把に対応しているからだ。しかし、私に分かるのはせいぜいここまでであって、二十一世紀に入ってからの役に立てば知性の再現なんてどうでもいいという風潮になってからの人工知能の流れにはついていけていない。この本はその近年になって社会の中に浸透している人工知能について分かりやすく書かれている。
本の構成としては前半が人工知能論で、終わりになるほどには社会論色が強くなってくる。最後の第九章に至っては人工知能とはほぼ関係ない著者の(アメリカ)社会論が展開されていて明らかに本全体の流れからは浮いている。とはいえ、いらない第九章はこの本のほぼ唯一の大きな欠点であって*1、全体として見ればこんなに人工知能に対する理解と洞察力にあふれた本はありそうにない。
この本はただの人工知能の解説書というよりも、社会の中に当たり前にように浸透している人工知能がどんなものかが論じられている。人工知能が人の職を奪う的なただの人工知能脅威論ではない点では社会評論的なものに興味のある人にもお薦めできる。つまり、日本でもグーグルの検索順位やアマゾンのお勧めぐらいは議論の対象になったことがあるけれど、もはや人工知能はそれどころではないぐらいに社会全体にどんどん浸透していくことになるが、それがどのようなものであるかがとても分かりやすく説明されている。著者が示唆するように格差社会が人工知能に由来するのかは別にしても、私達の社会の将来が人工知能に当たり前のように依存した社会で構わないのかは考えておく必要がある。ただし、本書は人を怖がらせるだけの人工知能脅威論とは異なり、そうした社会でどうすれば問題が解消されるかをシステムの点からアイデアが提唱されている。他にも、例えば道徳のトロッコ問題に匹敵する記述(知識があればどこかは分かりやすいので探してみよう)がそうと表に出すことなくさりげなくあったり、著者は知識をひけらかすことなくそのじつ理解が深いには感心する。
日本は今でも現代思想の残党がのさばっていて、未だにフーコーのパノプチコン論をいじくりまわしてキャッキャッ喜んでるようにしか見えない。そのせいで日本の社会評論的なものは欧米に比べて遅れているように見える。私の得意分野から挙げても、認知科学における二重過程説とか哲学における(方法論的な)自然主義とか、英語圏では当たり前に議論されていることが日本ではろくに知られていない*2。人工知能脅威論については当初は昔の流行りの再来ぐらいにしか思っていなかったが、本書を読むともっと深い問題であることが分かる。
- 作者: ジェリー・カプラン,安原和見
- 出版社/メーカー: 三省堂
- 発売日: 2016/08/11
- メディア: 単行本
- この商品を含むブログ (6件) を見る
*1:ちなみに、本書の日本語版解説はなかなか悪くない。とはいえ、そこで触れられている本書の欠点は私には欠点には思えない。解説者の言う最終章(というよりあとがきに近い)にある人工知能に支配される社会観はわざとSF的な極端な設定をして注意を引いているだけだ。機械が人を役に立つからという理由で活かしておくというのは、ただ皮肉にしか私には聞こえない。また解説者の言う意味理解(つまり言語理解)について本書に書かれていないのは単にディープラーニングに匹敵する大きな進展がないので現時点で社会への影響力があまりないからでしかない。本書は別に人工知能概論ではないのだから全てに無理やり触れる必要はない。
*2:ちなみに、政治家が憲法を解釈するのは許せないとする日本の憲法論も、アメリカの司法審査論と比較すると議論が偏っていておかしいようにしか見えない。司法審査論の場合は、選挙で選ばれたわけではない裁判官が選挙で選ばれた政治家の憲法解釈(の結果としての法律)を審査して退けるのはおかしいとしている。日本とは議論の方向が真逆だが、こっち(司法審査論)の方が議論としてまっとうだ