身体化論について私感

エナクティヴ・アプローチにおける現象学の役割は何か」は、ヴァレラらの提唱したエナクティヴ・アプローチをリサーチ・プログラム(ラカトシュ)として理解しようとした素晴らしい論文でお勧めです。詳しい内容は論文を読んでもらうとして、後は身体化論について前々から個人的に考えていたことをつぶやきます。
身体化論については、ヴァレラら「身体化された心」の翻訳が出た当時、既に原書の存在を知っていた私は大喜びした覚えがある。その私から言わせてもらうと、このヴァレラらの本が出てからもう二十年以上も経っているのに、その間に身体化論のリサーチ・プログラムとしての生産性が特に高くなったとは私にはどうしても思えない。ネット上には身体化論の論文(特に英語)がよくあがっていて今でもたまに読むのだが、それほど面白いとは思ったことはない(冒頭の論文は例外)。第一の理由はそもそも特出すべき新しい展開がないせいもあるが、もっと困ったことは経験科学との関係が薄くなってしまったせいもある。それに、身体化論がもともと敵対視していた古典的計算主義そのものが昔ほど力を持たなくなってしまったので、批判としての価値も失ってしまった。身体化論は、哲学的には思弁的な議論ばかりだし、科学的には目ぼしい成果が見当たらないしで、見るべきところはない。それなにの、今さらになってやっと日本では身体化論で騒ぐ人がよく目につくようになって、その周回遅れ感にはあきれてしまう。
とはいえ、身体化論について全く何の期待もないってほどでもないので、これからも薄く見守っていこうとは思います。