解釈主義は機能主義に反しているのか?

具体的な書名はあえて挙げないがある日本の学者の書いた本の中で、解釈主義は行動主義なのであって機能主義には反しているという主旨の記述を見たことがある。残念ながらこれは完全なる間違いである。おそらくその学者は代表的な解釈主義者であるデネット全体論的行動主義と呼ばれていることからの推測でそう主張したのだろうが、それは安易な連想でしかない。
解釈主義とは言語に関するディヴィドソンの立場であり、それを受け継いだ哲学者は幾人もいる。デネットはその代表的な一人ではある。しかし、それ以外にもディヴィッド・ルイスにも(ディヴィドソンと同名の)「Radical interpretation」(PDF)という論文があり解釈主義としての側面も持っている。もちろんD・ルイスは有名な機能主義者であり、それが解釈主義と反しているということは全くない。むしろ逆に素朴心理学(folk psychology)の理論によって相手に命題的態度を当てはめて解釈している。これで既に反例を少なくとも一つ提示したので、「解釈主義は機能主義に反している」という主張が間違っていることは十分に示されたのだが、実はデネットに関しても誤解がある。
デネット全体論的行動主義と呼ばれるのは、デネットクオリアを否定していることと、有名な論理的行動主義者であるライルに学んだことがあることからそう呼ばれていると思われる。しかし、セラーズの書籍の「はじめに」にあるローティの文章の注9に「デネットは彼自身が属している学派である機能主義を創始したことをセラーズに帰している」(「経験論と心の哲学」より)とある。デネットの立場を行動主義と呼ぶのは、その特定の側面に注目しているからであって、完全に行動主義とは言い切れない。とはいえ、デネットの立場を機能主義と呼ぶにしても、それは志向的姿勢を取って命題的態度を相手に読み込んでいるからであって、機能主義のもう一つの側面であるトークン同一説を採用しているかどうかは怪しいのだが。
あまり大きな声で言いたくないのだが、日本の学者には何とかしてオリジナルなことを主張しようとして基礎知識レベルでおかしなことを言う傾向がたまにある。そういうのは学者間の批判によって訂正されていけば良いのだと思うが、どうもそれはうまく機能していないらしい。そういうのを見ていると時々、本当にそう思っているのなら欧米に行ってそう発表してこいよ!と叫びたくなる。もちろん、(在野の所詮は素人でしかない)私は日本の学者の面倒な事情には巻き込まれたくないのでそんなことをすることはありないのだが。