心の計算理論におけるマーの三つのレベルについて少しだけ

認知の計算モデルについて調べていていたら、日本のサイトでとてもよいリンク集サイトを見つけた。それは私のブックマーク計算論的認知科学 第1版であり、基本的にお勧めなのだが、実は最初にこれに目を通した時になんとなく違和感があった。それがはっきりしないまま認知の計算モデルについての調べ物を進めていたら、「計算論的神経科学のすすめ」(PDF)という素晴らしい解説論文を見つけて大喜びしたのだが、これを読んでから例のリンク集を見なおしてみたら、どこに違和感を感じたのかはっきりと分かった。それはMarrの三つのレベルについての言及部分だった。

この分野ではベイズ派を中心に、Marrの三レベル(計算論、アルゴリズム、実装)で言う計算論的モデリング、すなわち「何を計算するか/すべきか」の研究に主なフォーカスがあり、これは計算論的神経科学や認知神経科学において「いかに計算されるか」を扱うアルゴリズムレベルの研究が盛んであるのと相補的であると言える。
私のブックマーク計算論的認知科学 第1版より

計算論的神経科学や認知神経科学が一緒にされてアルゴリズムレベルの研究だと言ってるところに違和感があったのだ。認知神経科学ってのは脳イメージング研究とも呼ばれるあの研究群だが、これがアルゴリズムレベルの研究ってのはいくらなんでも無理がある。そう思って改めて見直すと、計算論的認知科学はMarrの三レベル(計算論、アルゴリズム、実装)で言う計算論的モデリングすなわち「何を計算するか/すべきか」の研究に主なフォーカスがある、という説明も間違ってはいないが誤解を招きやすい。Marrの三レベルについて詳しくは計算論的神経科学のすすめが分かりやすくてより正確なのでそっちを参考にしてもらうとして、関連部分だけを論じます。
認知神経科学については単なる勘違いなので脇に置くと、問題はMarrの三レベルにおける計算論のレベルとアルゴリズムのレベルの間に違いにある。計算論的認知科学と計算論的神経科学の間には計算論のレベルとアルゴリズムのレベルの違いがあるという引用部分の説明は、「計算論的神経科学のすすめ」を読んでもらえば分かるように無理がある。私の印象では計算論的認知科学と計算論的神経科学の間の違いは脳の構造をどの程度まで考慮するかの違いであって、どちらも心の計算モデルの研究という点では一致している。そして、その点はどちらの研究領域も計算論のレベルとアルゴリズムのレベルの両方に関わりあっている。それは次の引用部分からも分かる。

この解説論文では、最適化の原理が運動制御とりわけ到達運動をどのように説明するかを、Marr の計算理論と表現・アルゴリズムのレベルにおいて、筆者の研究を通して紹介したい。
計算論的神経科学のすすめ」 p.156より

おそらく勘違いが生じる原因は、研究領域全体を指すのに使われる計算論(計算理論)という言葉が、Marrの三レベルのうちの一つに使われているからだ。これについては、1990年に出た少し古い文献でも「以上を考えるなら、この理論的な水準にMarrが「計算論的」という用語を与えたのがよかったのかは疑問である。しかしこれは文献上確立したものとなっている」(「認知心理学事典」p.257より)と指摘されている。大雑把に説明すれば、計算論レベルでは計算モデル研究を行なう前提となる方法と目的を与えてアルゴリズムレベルはそれに則って具体的な数式を考えだすので、科学哲学の用語を使うと…計算論レベルは研究のためのパラダイム(または研究プログラム)を与えていると考えると分かりやすい。
まぁここまで説明しておいてなんだけど、マーの三つのレベルなんて、心の計算理論についての入門講義で導入に使われたりはしているが*1、実際の計算理論研究をするには必ずしも知らなくてもそれほど支障がない気がする。私はこういう抽象的な話は得意だけれど、もちろん高度に専門化した実際の計算モデル研究には私はついていけていません。