そのモデルにとってベイジアンは道具なのか部品なのか?(前回の記事への補足)

やっぱりベイジアンは本で勉強した方がいいのかな?と思って、本屋に棚を改めて物色しに行った。そしたら、この前には見かけなかった書籍も見かけたりして収穫はあったのだが、同時にここで説明しておいた方がいいかなかな?という事も頭に浮かんできた。去年になって心理学や認知科学におけるベイズモデリングを紹介した書籍が続けて出版されていて、自分も期待して中身を覗いてみた。それらは特に具体的な研究の実例がいくつも紹介されていてとても有用な本だと感心した。ただ、それらの本で扱われているベイズモデリングと、前回の記事でも触れた私が興味を持っている認知(のベイジアン)モデルは、似ているようでいて違うことは説明しておかないといけないな〜と思った。
その書籍で扱われていたベイズモデリングは、要因の因果モデルを考えてデータで解析するタイプの研究であり、その適用は別に心理学や認知科学に限定されるものではなく様々な科学領域に応用可能なものである。実際にベイズモデリングとしては、去年に心理学や認知科学向けの書籍が出るまでは、生態学者の書いた本が長らく名著として有名だった。つまり、ここでいうベイズモデリングとはベイジアンを手段としてモデルを作ったり選んだりするものであり、多変量解析のベイジアン・オリジナル版とも言える(ちなみに多変量解析と同じ分析法[例えば共分散構造分析]のベイジアン版もある)。それに対して、私が興味を持っているのはベイジアンを直接にモデルに組み込んだ認知や脳のモデルである。つまり、ベイジアンがモデルづくりのための道具として使われているモデルとベイジアンの関係が間接的なタイプと、ベイジアンをモデルの中に組み込んだモデルとベイジアンの関係が直接的なタイプとがあり、同じくモデルを対象としていても異なる。
ベイズモデリングは統計的検定や機械学習と並んでベイジアンの一般的な用途として代表的なもので、日本語の文献もいくつか出ている。対して、ベイジアンの認知(脳)モデルは他領域への応用がそうそうにできるものではなく、日本語の書籍は私の知る限りはないし、日本語の論文も多いとは言いがたい。しかし、脳(心)の主要な機能を予測とする見方はある程度広まってきているので、その重要性は侮りがたい。つい最近出た日経サイエンスでも心理学者ゴプニックがボトムアップニューラルネットワークと並べてトップダウンベイジアンモデル*1を取り上げている。脳への学習と予測の装置観(総合すると最適化装置観)に関しては、構成論的アプローチと関連付けて語ることも可能そうだが、そのための準備は私にはまだ整っていない。

*1:ベイジアンモデルを単にトップダウンとするが妥当か?はここでは取り上げない。別の研究者はベイジアンモデルを生得/経験の対立を止揚するものとして説明している