2018年を振り返って二十一世紀の認知科学関連ブームを考える

2018年の認知科学関連ブームを振り返る

2018年を振り返って思うのは、実用的な方向に本格的に振り向いたことで人工知能ブームや道徳心理学ブームがようやく収まってきた感覚であり、その結果として二十一世紀に入ってから断続的に続いていた認知科学関連のブームがやっと落ち着いてきたということだ。

人工知能ブームについては、人工知能が人の知能を超える特異点(シンギュラリティー)についての地に足がついていない議論が沈静化していって、高度になったニューラルネットワークの純粋な工学的な発展と応用がより認知されるようになった気がする。人工知能が人の職を奪う論も以前ほどには騒がれなくなった気がするが、どうせそんなことは技術の発展に伴う結果としてはよくあることに過ぎない(それは技術が人の生活を便利にする側面とセットなだけだ)。人工知能の制御問題はもう少し現実的な問題だが、これはもはやただの人工知能論というよりもっと一般的なIT論に近い。今回の第三次人工知能ブームは認知科学とはそれほど関係がなかったのだが、表向きにあった関係あるかのような議論(人工知能が意識を持つ?)が2018年の間に目立たなくなっていったのは健全なことだなぁ〜と安心した。

道徳心理学ブームについては、早い段階で流行ったサンデルの講義で扱われていたトロッコ問題が知られていたが、その後は日本でも科学的研究がよく紹介されるようになった。ただトロッコ問題の応用以上には研究がなかなか広がっていかない懸念はあったが、最近ではトロッコ問題の応用は特に自動運転についての議論で広く知られるようになった気がする。もちろん科学的研究はこれからも地味に続けられるだろうが、自動運転の倫理については科学的に答えが出せるものではなく、実用的な問題として人々に議論してもらうしかない。こうなるともはや科学としての認知科学に貢献できるところは限られてくる。道徳心理学ブームもこうした視点からすると(問題の解決とは別に)収まってきた印象がする。

二十一世紀に入ってからの認知科学関連ブーム

日本では認知科学は過去の既に終わった学問領域だと思っている人も多いが、これは二十一世紀に入ってから起こった認知科学関連のブームの多さを考えると勘違いでしかない。このような勘違いが起こった原因は、国際事情から離れてしまった日本の認知科学事情のせいでもある。欧米では心理学者が認知神経科学研究に携わるのは普通なのに、日本では心理学と認知神経科学は別々だと思っている人も多い。つまり日本では学問分野間の壁が高くて異分野間の移動や交流が困難である事情もあって、日本では学際領域としての認知科学がうまく根付くことができなかったせいでもある。認知科学はそれ自体が独立した学問分野というよりも、様々な分野の専門家が参加する学際領域だとするのが正しいが、日本ではそれがあまり成立していない。

二十一世紀に入ってから認知科学関連のブームというのは欧米ではしょっちゅう起こった。(20)10年代に起こったブームとしては既に挙げた人工知能ブームと道徳心理学ブームがある(ただし前者は認知科学との関係は微妙。同時期に4E認知もブーム?)。行動経済学についてはノーベル賞受賞やナッジ本出版など複数のタイミングでブームが起こっている。しかしなんといっても、(20)00年代に起こった大きなブームとしては脳イメージング研究ブームと進化心理学ブームがあった(もちろん脳イメージング研究を含む認知神経科学認知科学の範疇だ)。これらのブームの前提として脳の機能局在論があったが、それがうまく行かなくなった反省として10年代に入って計算論が見直されたところもある。00年代には他にも研究的には、言語進化研究のブームやミラーニューロン研究から触発された研究テーマである模倣・共感・利他性なども研究としては流行っていたと言って構わない。実験哲学が勃興したのもこの頃だ。二十一世紀に入ってから認知科学が衰えたという奴らは欧米の事情を知らないただの無知しかない。

今振り返ると、二十一世紀に入ってからの認知科学関連ブームは、その多くが二十世紀の末には既に種が蒔かれていたものばかりであることを考えると、もういい加減にネタとなる遺産は食いつぶしたのかもしれない。とはいえ他の学問領域と比べても、こんなに多くのブームが起こったのも珍しい。そう考えると終わったどころでは全くないのだが、その一方で新しく生じた流れから振り落とされてしまった人も確かに多かった 1。私自身は科学としての認知科学に魅了された人間なので流れに何とか付いていっていたが、流石にこれから先は分からない。

認知科学はどうなる?

2018年に人工知能ブームや道徳心理学ブームが沈静化してきたことで、二十一世紀に入ってから断続的に続いていた認知科学関連ブームがようやく本当に収まってきた感じがしてきた。あえて言うと、認知科学内では予測符号化が流行り気味なところはある。もっと広い視点から見ると、現在の認知科学ベイジアンを中心とした統計的な脳観(認知観)が広まっている。これについては理論的に興味深い話もなくはないが、研究的にはそれまでの華々しいブームになったテーマに比べると地味さは拭いきれない。しかしそれは研究領域としては成熟してきたことの証かもしれない。


  1. 00年代半ばに認知科学の学術誌で、認知科学の創始分野のひとつである人類学が認知科学から外れつつあることを懸念する記事が載っていたことがある。その理由の一つは認知科学の自然化(生物学化)もあるが、それと同時に人類学の十八番である(比較)文化研究が他の学問分野でも普通に行われるようになったせいもある。