コメントには対応できませんので、承認もしません

私はちょっと古いタブレットやパソコンを使っているのですが、どちらからでもこちらからはこのブログにコメントを書き込むができません。それ以外では特にそれで不都合を感じてないので困ったものです。

と言う訳で、このブログにコメントされても答えられないので、承認もしないつもりです。コメントの表示はするけど書き込みはできなくするのも、できなくて困ってます。ブログの移行は前から考えてはいますが、なかなか条件が合うのが見つかりません。どっちにせよ古い記事へのコメントはできないままなのですが…

御用の方はコメントではなくとりあえずツイッターなら答えられると思います。でも、私はあくまで素人なので専門的な質問には答えられませんし、他の理由で答えられないこともあるかもしれません。返答も遅れる可能性が高いです。それでも良かったらどうぞ!

ちなみに、このブログに既にコメントをもらってはいるのですが、私からの返答はできないのでそのままにしてます。すいません、他意はありません。その人向けに答えると、私は新しい言語学理論は勉強してませんし、それに対して特に強い意見は持っていません。ネットには専門の言語学者がいろいろいるのでそちらから意見を聞くのをお薦めします。

追記(2020.1.4)

本文で対応したコメントを、せっかく書いてもらってたのだから…とコピペして公開しておきます。

あれは10年近く前に書いた記事だし、既に書いたように私は言うべき見解も持っていない(そもそも記事では認知文法に触れてないはず)。むしろ、今なら構文文法や制約に基づく理論の説明を書くべきだと思うし、個人的にはそっちの方が有望そうにも感じる。

id:take656 2019-12-23 21:28:42 認知文法を支持して生成文法を敵視する典型的おバカの立場から生成文法への批判点を書くとこんな感じかなぁ 1. 普遍文法においてなお主語を絶対視すること 論理の観点から主語を特別視するのはわからんではないが、「主語」を平然と省略したり「主語」が見出だせない述語(「寒い!」とか)を使う我々日本語話者の立場からは大きな違和感があるのは当然だと思う。もっと言えば世界の諸言語だと自動詞の主語の分裂だの絶対格だのと主語という概念自体そもそも曖昧になっていることを考えると(確か松本克己先生は「そもそも主語って概念は中世の文法学者達によって後天的に発明されたもんなんじゃないか?」という指摘すらされていたはず)生成文法はヨーロッパ中心の偏った理論だって批判されても仕方ないんじゃないかなぁ。一般化できたところで認知文法の一番目立つ要素(トラジェクター)と次に目立つ要素(ランドマーク)ぐらいが関の山だと思う。 2. 他言語学習者からすれば統語論と語用論と意味論は峻別されるものというより連続的だと言われたほうがしっくり来る。 5構文と単語帳渡された後にイディオムだの文法の例外だの大量にやらされた(もしくはその必要があると気付いた)人達からすると統語論と語用論と意味論の連続を説く認知文法の考え方は自然に納得がいくし、統語論だけを峻別する生成文法の考え方はどうもしっくりこない 3. 普遍文法から現実の各言語の文法までの距離があまりに遠すぎること それを数学や論理を解さないバカと言われるかもしれないが、それでも多くの他言語学習者にとって、生成文法の普遍文法から変形だのフィルターだの膨大な過程を経過して現実の言語の文法に至るという考え方はいつもの文法学習の悪夢を数十倍にもしたなにかだとしか言えないんじゃないか。それをすることが到底現実の言語学習に役立つとは思えないし、もっと言えばただでさえ複雑な現実の言語を普遍文法なるものをベースにしてさらに複雑化させてること自体、一般の他言語学習者には意味不明かつ恐怖を呼び起こさせる行為では。 4. 結局全体として演繹的であること 普遍文法から画一的に全てを説明しようとする考え方は他言語学習者からすると様々な言語の独特な規則を無視しているように感じられるし、それを解決しようとすれば破壊的な理論の更新をせざるを得ない。(現に過去2回破壊的な更新が発生した)その点認知文法はより帰納的な考え方で成り立っているせいで個別の言語の規則を含められるようにするための大胆な理論の更新もより容易なんじゃないか。 まあ実際認知文法も割とヨーロッパ言語中心っぽいところあるんで言うほどでもないんですけどね(トラジェクターとランドマークの考え方とかまんま主語と目的語の考えの延長論だし) ところでその辺を壊して日本語とかに合わせて新たに認知文法の理論を拡張してる論文もあるんですけど(具体的には中村芳久先生のIモード/Dモード認知の理論)これって蒼龍さん的には「レベルの高い研究」なのか「目障り」なだけのありがちなゴミ論文なのかどっちなんですかね? <