そういえば、ブログの記事にしようか迷っていてずっとそのままだったものに分析社会学がある。と言っても、ネットで分析社会学で検索すれば出てくる日本語論文にある知識をあまり超えないので、興味のある人は自分で調べて読んでくれ!で済むところはある。ただ、認知科学や哲学の知識がある自分だから指摘できる部分もなくもない。

分析社会学の目的は合理選択論の持つ合理性仮説を緩めてよりリアルなメカニズムを探究しようとする試みで、リアルなメカニズムの探究のためには認知科学のような科学も参照しようとしている。その心意気には賛同するのだが、その試みが上手く行くのかは疑問に感じるところもある。

分析社会学はメカニズム的説明をするために欲求・信念・機会の三項を前提とした理論を提示してる。この前提は合理的選択理論と変わらないのでは?という批判があり、私はこれは説得力があると思うが、それは日本語の論文で紹介されているので省略。ここでは別の視点から論じてみる。

欲求-信念心理学は、心の哲学では素朴心理学(folk psychology)とか常識心理学とも呼ばれ、世間一般で昔から用いられている考え方とされる。分析社会学は実質的にこの素朴心理学を前提にしていると言える。しかし、認知科学などの科学を参照してメカニズムを探究しようという試みは、この素朴心理学の前提と合致するとは言えない。

去年末の記事で紹介した2010年代に感激した論文の一位では、認知科学が素朴心理学や素朴概念に頼ることを議論していたが、科学的には心的メカニズムに安易に素朴心理学を持ち出すのは問題がある。だから心の計算メカニズムが流行り気味なのだが、これは分析社会学の素朴心理学の前提とはぶつかってしまう。

認知科学でも心的メカニズムについて同意なんてないのに、ましてや社会学がどうメカニズムを同定できるのかは謎でしかない。私自身は始めに分析社会学を知った時は好意的だったが、今は疑問の方が大きい。

社会科学が中途半端に認知科学なり自然科学(特に生物学系)に頼るのはむしろ危険だと感じる。特に社会科学と元から交流のある認知科学はまだしも、社会科学の自然科学(特に進化生物学や神経科学)への依存はよほど詳しくないならお勧めできない(実際にろくな例を見たことがない)。

私の勝手な印象では、社会学に限らず社会科学は21世紀に入ってから本格的に転換すべき時期に入ったと感じる。しかし、それは他の学問分野への依存によっては起こらないのでは?…と勝手に思っている。