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最近ラジオであるニュース番組を聞いていたら、ある人が専門家の間で見解が異なる場合はどうしたら良いのか?に答えていた。
その人が言うには、専門家から直接に聞くのではなくリスクコミュニケーターを介せばよくて、マスメディアがその役割を果たすべきだとしていた。間違ってはないとは思うが、マスメディアへの不信が専門家から直接に聞こうとする原因でもあるはずと考えると、ちょっと理想論に過ぎるように感じた。
そりゃあ、信用できる仲介者がいるならその人を頼ればいいと思うが、まともに科学ジャーナリズムが成立してない日本でそんな都合のいい人がすぐに出てくる訳がない。普段から科学を軽視してきた報いが今になって来ただけだ。
さらに、その論者は、専門家は狭い専門を持っていて狭い条件の元で語っているから…みたいに言っていたが、お前もリスクコミュニケーションの専門家じゃねぇのかよ!と突っ込みたくなった。俺には専門家の語る条件が分かるぜ!的な傲慢と紙一重で感心できる発言ではない。仲介者として名乗り出てるのがこんな人なのかと思うと頭を抱える。
ポストトゥルースとは異なる事態
今回の新型コロナ騒ぎで起こった新しい事態の一つは、専門家同士で見解が異なる事態に一般の人が直面した事だ(しかも日本だけで起きてる事態ではない)。これまでのポストトゥルース(真実以後)の時代とされる中では、事実と異なる間違った情報(misinformation)が話題になり、特にブレグジットやトランプ当選においては悪意のある虚偽情報(disinformation)が問題とされた。
もちろん、今回も(不安に乗じて)事実として間違っている情報は流れているし、それは気をつけてもらうしかない。しかし、今回改めて生じたのは
- 専門家が語っている(悪意はない)
- 見解の違いが晒されている(事実が焦点ではない)
であり、いわゆるポストトゥルースとは問題が別になっている。これはどういうことなのか?
ここで専門家と一つに括られているが、これは誤解を招く。ある領域に詳しいジャーナリスト(評論家)と専門分野を持った研究者とは、メディアに出ると同じように専門家と括られてしまうが、その内実は全く異なる。前者は既にある事実や知識に詳しい人だが、後者はまだ未知の領域を研究している人であり、同じく専門家と括るには違いがあまりに大きい。今回問題になっているのは、単に事実や知識を披露するだけでは済まない科学者の問題だ。
一般社会に現れない科学の営みが噴出する
ものすごく大雑把に語ると、科学には既に成果の確定した知識の領域と多くの研究者によって今現在進行形で調べられている探究の領域とがある。実際にはこれらをきれいに分けることはできないが、都合上これで話を進める。
普段メディアに出る科学は確定された知識の領域で済む事が多く、未知の探究の領域は科学番組の他ではあまり話題にならない。探究の領域では研究者の間で日々議論が交わされる先端の戦場である。時々、科学で何でも分かる訳ではない!と物知り顔で論ずる奴がいるが、研究者の側からは科学は分からない事があるから成立してるのであり、何が分かっていないのかを知ること自体が重要でもある。
つまり、メディアなどの表に出てくる科学はきれいに整った結晶だが、先端となる科学の本体はもっと混沌とした状態なのだ。今回は、新型コロナという全く新しい事態によって、本来は科学者の間で済んでいたドロドロな混沌が、一般市民の目にも顕わになってしまったのだ。
一般市民の科学観との乖離
本来なら、科学者の間で議論が交わされその結果が表に晒される…が正しい順番だ。しかし、今回はそうなる余裕がなかった。事態の緊急性と高度になったネット社会が組み合わされて、科学者間の議論をろくに経ずに一般社会にその混沌部分が加工されずに表に出てこざるをえなくなった。
今回は、本来の専門でないことにまで口を出す専門家も出てきているので、話がややこしいが、専門家も専門外については素人と考えた方がよい。本当の問題は、本来の専門に近くても見解が異なるところが表に出てしまったことだ。科学の中ではそこは単に議論すべき論点でしかないが、科学の営みを知らない一般市民には混乱を招いただけだった。
分かりやすくするために、科学を知識の領域と探究の領域に分けたが、実際はもっとややこしい。そもそも科学は一枚岩で語れるものではなく、もっと多様で複雑なものだ。当の科学者でさえその多様さをよく分かってないこともあるのに、科学を批判してれば深遠に聞こえるとでも思っている人文学者の科学観がいい加減に古臭すぎる(最近見たものだとマルスク・ガブリエルのがひどかった。あの人の本来の専門は科学とは関係ない)。
結論は出したいが…
どうしたらいいのか?との問いに処方箋や結論は出したいが、正直私自身がどうすればいいのか困っている。
なに偉そうに助言しとるんじゃ…で本文からは削除
ただ言えるのは、俺の言ってることが正しいぜ!的なのに頼るのは危険(確信の高さと真偽は関係ない)、情報量が多すぎるのは混乱しか招かないので信頼できる情報源に絞る、下手に論争には手を出さない(冷静な議論など期待できないので労力の無駄)…とかかな。
それでもどうしても情報が欲しい…との人にはっきり言えるのは、専門家の話を聞くべきなのは当たり前として、誰が正しいのかという択一の問題にはせずに、なぜその見解をとったのかという理由に遡って比較検討するしかないことだ。例えばマスクをすべきかも、「ウイルスが小さいので防げない」「手が顔に触るのを防げる」「飛沫が飛ぶのを防ぐ」と(ただの見解ではなく)理由を集めればおのずとそれなりの像は結べる…かもしれない。
ちなみに、私自身はタブレット(アンドロイド)にRSSリーダーのアプリを導入したら、ニュースサイトの記名記事を見るのにすごい便利。学者やジャーナリストのブログも登録してるので、一括で管理できて助かる。いくら専門家が書いていても、理由の説明にまで触れられる長めの記事でないともはや使えない。
- 追記(2020/4/10) ちなみに、私は政府を非難するな!とかとは全く思ってません。批判したいひとは勝手に批判すればいいし、その行為自体を批判したい人も勝手にやればいい。非難をやめろ!と言いたい奴は勝手に言わせればいいし、やっぱり批判したいなら気にせずそんな言葉は無視して構わない。ただ、ネットでの論争は往々にして不毛になりやすいので、本当に興味がある事は自分の頭で考えた方がいいところはある。