アメリカの最高裁判事と司法審査制について少しだけ書いてみた

ラジオを聞いてたら、最近のニュースであるアメリカの最高裁判事ルース・ベイダー・ギンズバーグが亡くなったという話題について語っていた。

それを私の聞いた印象では、リベラル寄りの論者ばかりが出演していて、亡くなった判事は素晴らしかったけど、今度から保守派の判事が多数派になるので心配…みたいな話だった。なんか偏ってるなぁ〜と思うと同時に、この話題で司法審査制をろくに知らない人ばかりだと、意義のある話は期待できないなぁと思った。

極端な論をぶつ日本では有名な国際政治評論家

アメリカの司法審査については、以前に憲法理論に興味を持ったことがあって、そのときに勉強した知識でそれなりには知っている。その私でさえ、次のネット記事を読んだときは、こいつ何言ってるんだろう?と眉をひそめた。

結論だけ言わせてもらえば、RBGの死により、トランプ氏再選の可能性が高まるかもしれない、ということだ。彼女の死でトランプは保守系の女性判事を最高裁に送り出す。これで保守対リベラルの比率は6対3となり、仮に、バイデン候補が勝って上院が民主党多数になっても、最高裁民主党案件をすべて潰すことも可能となる。

最高裁判事死去でトランプ再選? | NEXT MEDIA "Japan In-depth"[ジャパン・インデプス]」より

これを書いた人はテレビやラジオによく出ている国際政治の評論家で、私も一時期までは専門家として信用していた。しかし、ある時からこの人言ってることが極端だな?と思うようになってあまり信用しなくなった。私がこの記事を読んだのはRSSリーダーに登録してたサイトに出てたからでしかない。

この記事もあまり筋が通っていない。まず、「RBGの死により、トランプ氏再選の可能性が高まるかもしれない」という理由がよく分からない(たまたま今死亡した件のどこにトランプが貢献?)。ましてや、「バイデン候補が勝って上院が民主党多数になっても、最高裁民主党案件をすべて潰すことも可能となる」となると、アメリカの司法審査制を理解しているとはどうも思えない。

最高裁判事と司法審査

確かに、アメリカの最高裁判事は保守派が多数派になって共和党に有利になるにはなる。しかし、その結果として「最高裁民主党案件をすべて潰すことも可能となる」とするのは、あまりに極端な想定だ。正確には、憲法解釈に関わる重要な法案は潰されるかもしれないが、「すべて潰す」は普通に考えてありえないし、(非難覚悟で)あるにしても極端に可能性が低すぎて指摘するに値しない。

ここで司法審査制の詳しい説明は省く1。要するに、もしその法案が合衆国憲法に違反してると判断できるなら、最高裁で法案を却下することはできる。しかし、別に最高裁判事だって憲法を好き勝手に解釈できるわけではないので、「すべて潰す」はいくらなんでも言い過ぎ。

アメリカの憲法解釈については、原意主義だの生きる憲法論だのいろいろ議論はあるが、それも省略。ともかく重要なのは、いくら最高裁判事でも好き勝手に憲法を解釈できるわけではない。今度選ばれる最高裁判事がトランプほどの無茶苦茶な訳ないし、もしだったとしても他の保守派の最高裁判事がそんな無茶な判断は止めるはず。

とはいえ、重要な法案が保守派の最高裁判事の手に握られつつあるのは事実。対象となるだろう論争の的になる法案はいくつもありえる。特に民主党が提示する注目すべき重要な法案が、これからは実施しにくくなるのは避けられないだろう。

本当はもっと詳しく書きたかった憲法理論の話

憲法理論についてはいろいろと勉強してあって、例えば司法審査制と憲法裁判所を比較するとか、憲法解釈に関する哲学的な議論(ドゥオーキンみたいなやつ)とか、前々から書きたかったことはある。でも今回は緊急で書いたので、それは飛ばした。

権力分立と憲法解釈権

それから、日本では司法消極主義・司法積極主義とかと呼ばれる司法の影響力の議論もある。アメリカは司法審査制で法案を拒否できうるように、司法の影響はそれなりに強い。対して、日本は司法の影響が無闇矢鱈に弱い(行政裁判も訴える側が勝つ事はほぼないし、違憲立法審査権が通ることもほぼない。たとえあっても実質的な影響はないに等しい)。

これに関してもどっちが正しいという訳でもない。政治家が権利(憲法)を無視して好き勝手な法案を通すのも困るが、国民に選ばれた訳ではない最高裁判事が選挙で選ばれた政治家による政策を(憲法違反と)判断するのが正しいのか?という問題もある。

この点では、日本はとてもバランスが悪い(司法が弱すぎ)けど、この辺りを議論できる日本の学者を(懸命に探したつもりだけど)見た覚えがない。個人的にはあまり好きこんでオリジナルな議論はしたくないのだけれど、この辺りの問題はそれを避けられない。それが、これまでこのテーマで記事を書いてこなかった原因ではある。

アメリカの司法審査制については、日本にいる詳しい専門家がいるはずなので、そのうちに記事や解説が出るだろうと期待する。しかし、日本の問題については放っておくと、原理的な議論はいつまで経ってもろくに出てきそうにないのは困ったものだ。

とりあえず思いついた参考文献

緊急で書いた記事なので、文献参照ができなかった。でも、それだと単に信用されないだけなので、手持ちのキンドルに入っているお気に入り論文がネットで手に入れたものなので、それだけ紹介しておく。

google:大林啓吾 ディパートメンタリズムと司法優先主義

日本のような権力分立に関心がないバカな政府や国民と違って、アメリカには憲法解釈の最終決定権がどこにあるのか?について真剣な議論がある。これを読むと、その一端が分かる。

追記(2020/9/28)

最高裁判事と司法審査のつながりに軽く触れた記事があった


  1. 憲法裁判所と違って、司法審査制では特定の裁判の判決と違憲審査が分かれていないのが特徴。その点では日本はアメリカに近いが、司法の影響力の点では全く違う。アメリカでは司法へのアカデミズム(学者)の影響力があるが、日本ではほぼないところ(たとえあっても裁判官の気まぐれ)も全然違う。