公正世界仮説という訳語を勝手に考察してみた

この前、YouTube社会心理学者が公正世界仮説を紹介しながら、コロナ禍の差別について語っていた。まあまあ面白かったので、興味のある人はどうぞ。

自分は公正世界仮説を知らなかったので、それなりに興味を持って聞けた。正直、終わりの方の話とか、もう社会心理学関係ないのでは?と思わなくもない。でも、社会心理学者が一般向けに語るのは少ない気がするので、ありがたい!

ただし、チャットの書き込みを見ていた印象では、公正世界仮説がどこまで理解されているか?疑問に感じた。私の印象ではもう少し丁寧に説明してもらっても良かったかな?と思った。

詳しい説明は動画を見てほしいが、公正世界信念とは因果応報を信じることであり、動画でもそう説明されている。ただ、すぐに差別の話に入ってしまい、要点が理解されているのかがウヤムヤなままに進んでしまった気もする。

公正世界仮説という訳語

公正世界仮説はjust-world hypothesisの訳だが、どうも分かりにくい。むしろ因果応報仮説と意訳する方が理解の点でマシだと思うが、学術用語だから無理なんだろうね。

just-worldを公正世界と訳すことの問題は、fairと混同してしまうところだ。私はロールズを知っているので、「公正としての正義」を思い出すが、これはjustice as fairnessの訳だ。ここではfairnessが公正と訳されている。そして、justの名詞化のjusticeが正義と訳されている。ややこしい!

以下は私の個人的な語感を述べるので、正確には各自で調べてください。

fairは条件を同じにするの含意。ロールズのような貧しい人に金銭を分配するとかアファーマティブアクションのような入学条件の優遇とかのように、与えられた悪い条件を後から良くして条件を揃える感じがする。フェアな競争とは、参加者全ての条件を同じにすることである。

justはピッタリとか正しいとかと訳せる。justiceはその名詞化だが、悪いことをした奴には罰を与える…という神や裁判官の判定を思わせる。それこそ意味的には因果応報に近いかもしれないが、因果応報の場合は判定を下す主体が含意されてない感じがする。共通するのは、悪には悪を!善には善を!というバランス感覚がそこにあることだ。

just-world hypothesisの訳語を勝手に考える

こう考えると、「公正」はむしろfairを思わせがちで、公正世界仮説という訳語は誤解を招きやすい。そこで、どうせ採用されないことを分かった上で、勝手にjust-world hypothesisの訳語を考えてみたい。

まず直訳に近い方が学術用語として好まれやすいことを考慮した訳語から。まあ「正しい世界仮説」の方が「公正世界仮説」よりも、悪い奴には悪いことが起こるという意味を含みやすそう。ただ問題は「正しい」は多義的なので、本当にこれで分かりやすいのか?私には確信できない。

因果応報仮説」という意訳は既に指摘したので、直訳と意訳の中間を考えてみる。それで思いついたのが「正義が下される世界仮説」だ。つまり、病気になった人にはそうなるに相応しい原因があったと考えると傾向だ。1

あらためて「正義が下される世界仮説」を考える

新型コロナに罹った理由には偶然の要素も強いので、本来ならその原因を知り尽くすことはできない。そこで科学では確率(統計)を使うのだが、人は確率を扱うのが苦手だ。実は統計における誤りについては、動画の中でも触れられているので、それを聞いてください。

もう一つ重要なのは、動画では触れられていないが、このブログでは既に触れたことのある帰属理論だ。「正義が下される世界仮説」はその点では、病気の原因を探す帰属理論の一種とも言える。病気の原因を罹病者の中に見出すことで溜飲を下げているのだ。

更に指摘しておきたいのは、人は誰もが物事の原因を知りたがる素人科学者でもある!と言うことだ。たとえ、それが本物の科学者のように実際の証拠に基づいていない結論であろうと、それは関係ない。その人にとって納得できる理由なら何でもいいのだ。

なぜその理由が選ばれるのか?は時代や文化によっても違いうる。神話には納得する理由を与える素朴理論(folk theory)としての側面もあるが、私達はそれを不合理なものとして笑うことなどできない。なぜなら、神話は私達の中で形を変えて生きているも同然だからだ。


  1. 「正義が下される世界仮説」がキリスト教的な言い方なら、「因果応報仮説」は仏教的な言い方だな。でも、ヨブ記とかを知ってれば、キリスト教はそんな単純じゃねぇよ!とも言えるし、そもそも因果応報だってどこまで本当に仏教的なのか?怪しい。ここでこれ以上に深い宗教論をするつもりはないが、いろいろ詮索したくなる所がある。