科学において理論は再現性問題に貢献できるのか?

同じような実験結果が再現できるか?を問う再現性問題を論ずる心理学者は日本でも増えてきて、私もよくそれらを興味深く読むことがある。

ただ、心理学者の語る再現性問題を読んでいて時々気になるのが、心理学は理論を発展させれば再現性問題は解けるかのような言説を何度も見かけたことだ。残念ながら、この言説は少なくともそのままの形では正しくない。遠回りすれば、理論の発展は再現性問題に貢献できるかもしれないが、それをきちんと論じているのを見たことがない。

本当は、私のオリジナルな話はあまりここに書きたくない。一応、英語の関連文献もある程度読んでみたが、直接にこれを論じてるのはなかなか見かけなかった1。私が考える理論の発展と再現性問題の関係は比較的に論理的にシンプルに語ることができるので、それを直接に書いてしまおうと思った。

理論の発展は再現性問題に直接には貢献しない

再現性問題とは、ある仮説を検証する実験の結果を再現できない問題である2

仮説検証についての哲学的な議論はしだすと切りがないので、ここではシンプルに、ある仮説が正しいなら、それを検証する同じような実験は同じような結果を出す…という単純な帰納的な関係を想定する(経験的一般化)。

それでは、そもそも科学における理論とは何なのだろう。もし理論が検証と無関係なら、科学に限らずそのような理論はいくらでもある。それなら、オカルトだって理論を持ちうる。現在の科学は(必ずしも還元主義を伴わない)方法的自然主義が基調にある。もっともらしい説明を生み出すだけの理論は科学的な理論ではない。

ここでは、再現性問題の視点から理論を定義する。理論とは、検証可能な複数の仮説を一貫した形で生み出す整合的な装置である。できれば、理論の整合性は数理によって成り立っていればより適切である。ここでは仮説を生み出す形で理論を定義したが、逆に複数の仮説を整合的に結びつけた一かたまりが理論であるとしても同じである。

〈理論->仮説->実験〉の流れを見たときに、理論は検証すべき仮説を生み出すだけで、再現されるべき実験とは直接の関係はない。その仮説がどの理論から導かれたのか?は、その仮説の実験的な再現性とは独立である。逆に、〈実験->仮説->理論〉の流れで見たとき、ある仮説は任意の理論に組み込めるので、たとえその仮説が再現可能な実験に基づいていても、その仮説と結びつくどの理論が正しいのか?は明らかではない。この場合、理論はどの仮説の組み合わせなら許されるか?は導けるが、それぞれの仮説の再現性はそれとは別の問題だ。

理論はどのように再現性問題に貢献できるか?

理論と再現性の間の論理的な関係は既に述べた。しかし、実のところ理論の発展が再現性に結びつかない例は簡単に挙げられる。それは精神分析だ。精神分析は理論的に高度に発展したが、今となってはそれは科学的な検証によって再現できることは疑われている。精神分析を未だに信じているのは、科学に疎い人たちばかりなのが現状だ。

それでは、理論は再現性問題に全く貢献しないのか?確かに直接的な貢献ができるとはとても言えそうにないが、間接的な貢献は可能だ。

再現性問題の根底には、どんな荒唐無稽な仮説でも有意な結果が出れば、研究として認められないといけない…という前提があった。この前提のせいで、無理矢理に有意差を出した研究が放置され続けたとも言える。

しかし逆に、超能力のような常識に反する仮説は検証されるに値しないとする考え方は、検証すべき仮説を勝手に狭めているだけなので、これも許されるべきではない3常識も素朴な理論(の生み出す仮説)の一種であり、それ自体が検証されるべき対象である

ここで重要なのは、理論は再現可能性に直接に関係しているのではなく、理論は検証されるべき仮説を選び出す装置でしかないことだ。つまり、科学における仮説は山のようにあって、その全ての再現可能性を調べることは現実的に不可能だ4大量にある仮説の中から、そもそもの再現可能性を調べるに値する仮説に研究者を注目させるのが理論の役割である

結論

(科学における)理論とは、整合的に関連付けられた複数の仮説の集まりであるので、理論は個々の仮説の検証の再現性と直接には結びついていない。ただし、理論は再現性を調べるべき仮説に目を向けやすくする点で、再現性問題に間接的に貢献できる。


  1. 見つけた数少ない例外が、google:Klaus Oberauer & Stephan Lewandowsky Addressing the theory crisis in psychology だ。これから論ずる議論の基本的な図式(理論と仮説の関係)はこの論文と似ている。ただし、それでも私が元々考えていたのとはズレがあるので、この記事の本文では直接にはこの論文を参照していない。

  2. ここでは実験だけを例にして論じるが、これは簡単にアンケート的な調査にも拡張できる。ちなみにここでは詳しく論じないが、質的研究で再現性問題を解決できるかのように語る人もたまにいるが、これも端的に間違っている。質的調査はそもそも再現性を目的にしてないので、再現性問題に特別な貢献はしない。もしそれが再現性そのものがいらないという主張だとしたら、そもそも問題を正しく理解してない。量的研究と質的研究は補完関係にある(相手にできないことが自分にはできる)のであって、どちらか一方が正しい訳ではない。

  3. 全ての命題は疑われうるとするのは、クワインやセラーズ以降の現代的な全体論の基本的な考え方でもある。ただし、これが単なる相対主義にならないのは、全ての命題を同時に疑うことはできないとする保守主義とセットだからだ。懐疑主義保守主義の間でどうバランスとるのか?が、基礎付け主義批判を経た現代の課題だ

  4. 哲学的には、帰納問題によって再現性を完全に調べることはそもそも不可能だが、それは脇に置く。ここでは帰納ではなくて、ありうる仮説の膨大な数に注目して不可能性を導いている。