私にとって進化心理学とは〜1990年代に勃興し、2000年代に広く流行り、2010年代になると批判が出てきて分野として落ち着く〜という経過をたどった学問分野で、今でも興味はなくはないか今さら論争するほどではない…と思っている。だが、これは欧米での事情であって、日本ではそうではなかったことは早くから分かってはいた
最近になって、日本で進化心理学についての論争をネットで目にすることがあって、正直な感想は「いまさら」だが、同時に相変わらず進化心理学の定義が曖昧なままに話が進むことにあきれる。とはいえ、これは日本の論者が特にひどいのではなく、当の欧米でも流行り時には(学者も含めて)進化心理学の意味合いが曖昧に広がっていた事情もあるので、仕方がない部分もある
意味合いが曖昧に広がりがちな進化心理学という言葉
これから、源となるトゥービー&コスミデスの伝統を受け継いだ正統派の進化心理学を知れる日本語の論文を紹介するが、その前によくある勘違いを確認しておく
進化心理学を心への進化論的アプローチそのものと同一視する人がたまにいるがこれは間違っている。進化心理学は心への進化論的アプローチを広めるのに重要な役割を果たしたのは確かだが、これらは同じではない。心への進化論アプローチをする学者の全てが進化心理学に賛同してる訳ではない(例えばトマセロ)。
それから、文化進化を進化心理学の一種としたり、社会環境への適応をも進化心理学と呼んだりする学者もいる1。ただそれだと、文化を受け継ぐ学習が進化心理学に含まれてしまう。これでは、進化心理学の勃興時に起こった相対主義や構築主義への批判とぶつかってしまう。たとえ文化進化のselection(淘汰)の側面とのアナロジーに注目しても、後で触れる行動生態学と進化心理学の違いを無視してる点で問題がある
進化心理学の定義が勝手に曖昧に広がっているのは、議論する上で不都合が多いと個人的にはしょっちゅう思う。そこで、ここではトゥービー&コスミデスを受け継いだ正統派の進化心理学について、ここ最近出された日本語の論文を紹介しながら確認してみたい2
小田亮『「おせっかいなサル」の行動進化学』
まず始めに紹介するのは、小田亮『「おせっかいなサル」の行動進化学』です。これは講演を元にした読みやすい論文なので、ネットですぐ手に入るので直接に読むのをお勧めします。ここでは、この論文から進化心理学について説明してる前半だけに触れます。後半は利他性の研究について論じていて面白いので、こちらについては是非じかに論文を読んでください
この論文の何が優れているか?というと、ともかく進化心理学についての説明が的確で分かりやすいことだ。しかも、その説明される進化心理学がトゥービー&コスミデスを受け継いだ正統派のものであることが素晴らしい。残念ながら、進化心理学を研究してるはずの学者でも必ずしも正統派の方の説明をしてくれる訳ではない
進化心理学が心を進化から説明しようとする分野であることは前提として、その特徴がどこにあるか?の論文での説明を箇条書きしてみます
この違いに注目した著者は目の付け所が素晴らしいと思う。ちなみに行動生態学とは、社会生物学と呼ばれていた研究領域とかなり重なると思っていいと思う
この2つは何が違うかというと,非常に簡単に言ってしまうと,人間行動生態学では子どもの数を数えます。一方,進化心理学では子どもの数を数えません
小田亮「おせっかいなサル」の行動進化学 p.104より
ただし、リバースエンジニアリングは認知科学から特徴を受け継いでいる。進化心理学は、子供の数を数えない代わりにリバースエンジニアリングをする、と考えればいい
- 人の心が進化的に適応した環境を過去に設定する
つまり、人の心の進化的な適応は現在の環境への適応ではない。これは進化のタイムスパンを考えれば、そんなに奇妙な主張ではない
人の心が適応してきた環境のことを「進化的適応環境」というふうに言ったりしますけど,進化的適応環境というのは恐らく,現代とは違う
小田亮「おせっかいなサル」の行動進化学 p.105より
特に、行動生態学との違いと適応環境の設定とは進化心理学が登場した当時を理解する上では重要だ。それまで人の心を進化論的に説明しようとした社会生物学(行動生態学)が叩かれがちだったのに代わって、人の心をより適切に科学的に研究できる分野として進化心理学が出てきたことを反映してる3。どのように人の心を科学的に研究するようになったのか?を論じているのが、次に紹介する論文だ
小林佳世子「4枚カード問題からわかること―裏切り者検知・予防措置・利他者検知―」
進化心理学というと一番に有名なのは、心理学実験である4枚カード問題に対する裏切り者検出装置としての解釈であり、これは私も知った時は衝撃を受けた記憶がある4
4枚カード問題をめぐる進化心理学的な研究については、詳しくは紹介した論文を読んでください(ネットですぐ手に入って読みやすいのでお勧め)。以前の実験や仮説の問題を突いて、そこを改良した実験を行なう…という研究改良サイクルが概略的に描かれています。私も裏切り者検出装置のその後の展開についてそれほど詳しくなかったので、とても勉強になった
この論文でも、トゥービー&コスミデスから受け継いだ正統派の進化心理学の特徴に触れられているので、そこだけ箇条書きしておきます
- 領域特殊なモジュールの集まりなアーミーナイフとしての心
またヒトの心は,適応上重要であった個々の問題の解決に特化したモジュール群から構成されるという,心の領域特殊性(domain specificity)という考え方が近年主張されるようになっている。その中で,4枚カード問題からみえてきたこれらの力は,領域一般的なものというよりは,進化の中で培った個別領域的な推論能力であることを議論してきた
小林佳世子 「4枚カード問題からわかること―裏切り者検知・予防措置・利他者検知―」p.331
論文中ではアーミーナイフには触れられていないが、進化心理学では領域特殊なモジュール5の集まりのことを、アーミーナイフ(個々が特定の役割を果たす道具の集まり)に例えるのはよく知られている。領域特殊とは裏切り者検知のような特定の役割を果たすことであり、何にでも使える一般知能とは対照的とされる
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例えば「それぞれの自然環境や社会環境において適応的に生きていくのに適した行動傾向や心理的特徴が各文化の中で発達し、受け継がれていくという進化心理学的説明について述べている」google:外山みどり 社会心理学における文化研究の成果と課題のp.176より。ただし、文化進化で著名な研究者自身が文化進化を進化心理学の一種であるかのような発言をしているので、仕方のない勘違いとも言える↩
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他にも、生得性の点で一緒に語られやすい進化心理学と行動遺伝学との違いも気になるが、ここでの話題とはあまり関係ないのでそこには触れない。これは一般化すると、個性(特性)や病気には進化的な適応性はあるのか?の問題となり、これも進化心理学と呼ばれることがある。これが正しいのか?は私にはいまいち確定できない。どっちせよ、本文で説明するのが正統派の進化心理学であり、こっちは良く見積もればそこからの派生としてなら認められるが、下手するとそもそも進化心理学と呼ぶのに無理がある。どっちが妥当か?私にはよく分からない↩
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ただし、行動生態学の子供を数えるという特徴は、淘汰単位が個体であることを意味しない。淘汰単位は遺伝子であるが、その話はこのブログでも前に触れた「社会生物学が還元主義的でないことを進化ゲームから理解する - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~」 ↩
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正直いうと、この衝撃に値する成果が進化心理学にどれほどあったか?個人的には疑問を感じなくもない。とはいえ、少なくともここで紹介する4枚カード問題の研究は真の意味で科学的に素晴らしい成果だと思うし、Just-so story(もっともらしいだけのお話)に陥らない進化心理学はこうであるべき!だと思う。私が進化心理学に批判的だとしても、それは証拠に基づかない安易さへの批判であって、この記事に挙げた論文に紹介されてる科学的な進化心理学の研究はむしろ歓迎↩
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ただし、進化心理学のモジュールがフォーダーのいうモジュールと同じとはあまり思えない。例えば、言語能力に進化的な適応性があることを認めたとしても、それが領域特殊だとするのは厳しいところがある。しかも、モジュール論の根拠の一つでもある脳の機能局在性も近年は疑われることがよくあり、現在のモジュール論の位置づけは私にはよく分からない↩