話題のひろゆき論への違和感を綴ってみた

少し前から、著名な社会学者の書いた「ひろゆき論」が話題になっていたのは知っていて、気にはなっていた。それが最近になってネットで公開されたので読んでみた。面白く読みはしたのだが、私には重要なところで違和感を感じて気になったので、それをここにしたためておきたい。

著者の伊藤昌亮はネット右翼研究でよく知られた人で、自分もネットにあがった記事を読んだ事があった。信頼できる社会学者であると思って期待して、今回の「ひろゆき論」を読んだ。結果として、興味深い内容ではあったけれど、重大な点で大きな違和感を感じざるをえなかった。

ひろゆきはプログラミング思考の代表なのか?

言いかえればそれは、「プログラマーとして世界を見る」という態度を指南することだ。
そこでは世界を、いわばデータとアルゴリズムから成り立つものとして見ることが目指される。

ひろゆき論」プログラミング思考で権威に切り込む…より

このブログの昔からの読者 (いる?)なら分かってもらえると思うが、私は論理と証拠に基づいて思考するタイプだ。そもそも学生時代に認知科学に魅力されたということから分かるように、計算とかアルゴリズムとかの考え方にも慣れている。その私から見ると、ひろゆきのどこが論理的思考力の持ち主なのか?さっぱり分からない。

私が昔からの2ちゃんねる嫌いなことは脇においても、ひろゆきの言ってることなんてただのつじつま合わせにしか聞こえないことも多い1。中には納得できる話もあるにはあるが、私の中では、近年のマスメディアやテレビ局が関わるネット動画でよく重用されるおもしろキャラなコメンテーターの一人でしょ?という印象しかない2

それなのに、この「ひろゆき論」では、ひろゆきの最大の特徴がプログラミング思考だとされていて、もう違和感しかない。彼のポイントはそこではない。

システムの弱点を突くハッキング思考

チートとハッキングはどう違う?

以前にラジオを聞いてたときに、ひろゆきはなぜ人気なのか?を説明するのにチートの言葉が出てきたことがあって、ここでも違和感を感じたことがあった。その時にもツイートしたのだが、(ゲームで見かける)チートは自分に都合良くデータを書き換える不正行為であり、犯罪的な行為を指すニュアンスが強い。3むしろ、ここでふさわしいのはハッキングという言葉の方だ。

ハッキングとは、システムに精通していてそれを活用できることだ。一般的にはハッカーというと、セキュリティをかいくぐる犯罪者のイメージが強いが、それは悪いハッカーだ。元々はハッキングそのものは中立的な言葉であり、システムの弱点を指摘して直すのもハッキングの一種である4 (とはいえ、ここではあまりいい意味では使う予定はない)。

つまり、ひろゆきの特徴は、単にプログラミング思考というよりも、システム(制度)の弱点を突いて利用するハッキング思考の方がしっくりくるのだ。彼が罰金は犯罪として罰せられない限りは払わない…とするのは(チートというよりも)制度へのハッキングそのものにしか見えない。

つまり、この「ひろゆき論」で「優しいネオリベ」と名付けられているものは、(システムの弱点をついて自分だけ得しようとする)ハッキング思考そのものでしかない。 5

本物のシステム思考とは異なるハッキング思考

元来、プログラミング思考を追い求めていけば、いわゆるシステム思考に行き着くはずであり、そこではシステム論的な複雑さ、つまりさまざまな要素から成るシステム全体の複雑さをどう制御するかという点が眼目になってくるはずだ。[…中略…]しかし彼の思考はそうした発展性を持つものではなく、あくまでも未熟なレベルに留まっている。

ひろゆき論」おわりに…より

ハッキングの説明でシステムという言葉を使った。しかし、ハッキング思考はシステム思考そのものではない。私は自称システム思考の持ち主…だと勝手に思っているが、システムを部分しか見ないハッキング思考には警戒感を持ってしまう。こんなのをシステム思考と混同してほしくない。

システムの弱点を見つけ出すのが目的のハッキング思考と、システムの全体を理解しようとするシステム思考は、似て非なるものだ。上にした引用部分があるにも関わらず、「ひろゆき論」を読んでいると、(プログラミング思考を称しながら)システム思考とハッキング思考が混じっていることは誤解を与えるだけで、むしろ危険性を感じる。6

私自身は、ハッキング思考を否定はしないが、基本的にハッキングはシステムへの寄生なので、多数がそれを享受することには無理がある。少数派でもいいので、システムとは何か?を理解している人がいないとどうしようもな7。(システムを利用して儲ける点で)利権を貪る政治家の思考法と大して変わらないハッキング思考ばかりになってしまっては8、そのシステム自体が壊れるまで待つしかなくなる(加速主義はそういう思想だが、資本主義はそうは壊れやしない)。 9

結論があって書き始めた記事ではないので、きれいなまとめなどないのだが、ひろゆき的なものを叩くだけで事足れりとするのはやめてほしいということだ。その点では、今回の「ひろゆき論」は(物足りなさはあれど)一歩前進ではある。


  1. ひろゆき論」に『かつて2ちゃんねるがスタートした当初、その利用者の資質についてひろゆきは、「噓は噓であると見抜ける人でないと難しい」と語っていた』とあるが、どう考えてもひろゆき自身がこの条件を満たしていない(全ての嘘を見抜けるなんて神だけでは?自分は神と思い込んでる狂人?)。むしろ、俺は嘘を見抜けるぜ!という驕りを持った人は騙されやすいし、(見抜けるという信念を否定することになるので)薄々気づいても嘘を訂正できない。嘘を訂正できないからつじつま合わせに走ることになるのは必然的。ただし、つじつま合わせはひろゆきだけの特徴ではなく、マスメディアによく出てる人に広く見られる特徴でもある(SNSで強情になった人にもよくある)。自分の嘘を認めたら負け!的な人とは付き合っても時間の無駄なので、距離をとる方がいい
  2. それに対して、いわゆるリベラル(というより良識派)は、正しいだけのクソ真面目のつまらない奴が多くて、これじゃおもしろキャラにかなう訳ないじゃん…と思う。だいたい、日本ではちゃんとリベラル思想を理解してる人が多いとは思えず、そんな奴らをリベラルと呼ぶのは個人的には嫌だ(昭和からの流れで良識派と呼ぶのがふさわしい)。良識派ネトウヨも、特定の価値観を盲目的に信じて他人に押し付けるところはそっくりでしかない。はっきり言って、(どっちも社会を生きにくくしてる点で)自分はどちらも嫌いだ。
  3. もしかしたら自分に都合がいいように法律を書き換える権力者の行為もチートかもしれない。こっちは、プラットフォームのような儲ける仕組みを自分で作っちゃえ的なビジネスものの流れに連なる(それできる奴どれだけいると?の突っ込みは脇に置く)。ちなみに、最近は勘違いされそうだが、金持ちの家に生まれるのは本来の意味のチートではない(異世界転生ものの読みすぎ)
  4. ひろゆき論」の本文の中でも、「ライフハック」という形でハックへの言及されてはいるが、その内実はただのTips(お役立ちミニ情報)でしかなく、システムの弱点を突くという重要な特徴が分からなくなっている
  5. この点で、ひろゆきに最も近いIT企業家はマーク・ザッカーバーグだ。ケンブリッジアナリティカとフェイスブックの関係を思い出すべき。2ちゃんねるフェイスブックは悪名高さがそっくりだ。ちなみに、日本でハッキング思考が好まれるのは、それがコジェーブのいうスノビズムの新しい意匠(表面的な反発者ぶりっ子)でしかないせいかもしれない。
  6. ひろゆき論」の本文では、プログラミング思考を人文知と対立的に扱っている。システム思考の場合は人文学とは排他的な関係にはない(例えば分析哲学)。ちなみに、私の印象では、日本で「人文知」で騒いでるのは、現代思想寄りの人が多い。言いたくないが、現代思想は人文学の中ではそもそも異端だし、それどころか伝統的な人文学とは敵対的でもある。そんな人たちが人文知を主張してるのは、なんか違う…と思う(お前らが人文学の基盤を壊したんじゃないの?)。日本では、味方のふりしてるけど実は敵では?とか、敵対して見えるけど実は…?、みたいなことが本当に多い。
  7. 日本の学者や批評家を見ていても、システム思考をできる人がどれだけいるか?心もとない。私がシステム思考を学んだ一人である宮台真司は、昔ならシステム思考の持ち主だったのだが、最近は現代思想的なものに毒されてしまってシステム思考の側面はかなり弱まってしまった(でも一時期はもっと酷かったので、これでもマシにはなってる)。私としては、論理や統計・ゲーム理論や因果推論を学ぶのをお勧めするしかないが、こっちはこっちでテクニカルな話に淫する罠があり、それだけでは足りない。思考法の点では、分析哲学認知科学には様々なヒントがあるのだが、(良い書籍がなさすぎて)日本語でそれを学ぶのは難しい。 日本はシステム思考を学ぶためのハードルが高すぎるのには困ったものだ
  8. 日本のコスパやタイパの流行りもハッキング思考と無関係ではない。要するに、そこで求められているコスパはあくまで個人レベルの労力削減であって、組織レベルのコスパではない。組織レベルのコスパを上げられないが故に個人レベルのコスパを上げざるをえないと言う話でしかない。つまり、システムを変える気はなくてシステムのすきを突いて個人のコスパを上げてるだけであり、これはハッキングと考え方がそんなに変わらない。本当は組織のコスパを上げて個人に余裕をもたせる(結果として能力を発揮できる)のが正しいはずだが、それをしようとする気のある人は日本には出てきにくい。個人のコスパだけを上げても生産性が上がる訳ない。例えばインボイス制度も、より多くの消費税が取られることが重要ではなく(なら素直にそう制度を変えればいい)、税金を払うための労力を増やすことで間接的に生産性を下げることになってるだけなのが問題だ(スタートアップを増やす気ゼロだよね)。税制はできるだけ簡素にすべき!(税制に割いた労力分だけ生産力を上げるのに割く労力は減る)とろくに騒がない日本は、もう終わってると思う。経済政策以外の政策が経済に与える影響を考える人が日本にはいなさすぎ(なんで経済中心主義が嫌いな私[景気が良くなくなるだけで社会が良くなる訳ない]がこんなこと指摘せなあかんのや!)。日本にはシステム思考のできる人がいかに少ないか?の表れでしかないよ、ほんとに!
  9. 資本主義は一定の条件があれば自動的に成立するのであり、人間が自由に設計できるものではない。その点では、資本主義は進化論に似ている。といっても弱肉強食な社会ダーウィニズムとは何の関係もなくて、遺伝子複製と突然変異と自然淘汰が揃えば自動的に進化が起きることでしかない。最低でも安定した貨幣と貨幣への欲求があれば資本主義は勝手に成立しそうだが、対して民主主義は公正な投票だけではうまくいかなそう(例えば票を当てにしたバラマキ政策を禁止できない)なので条件が厳しい。