書評 G・A・コーエン「あなたが平等主義者なら、どうしてそんなにお金持ちなのですか?」

あなたが平等主義者なら、どうしてそんなにお金持ちなのですか (こぶしフォーラム)

代表的な分析的マルクス主義者であるコーエンによる講義を元にした著作。政治哲学の明瞭な議論は一見の価値ありだが、一般向けとしてはちょっとレベルが高い

有名な分析的マルクス主義であるジェラルド・コーエンによる、1996年のギルフォード講義を元にした著作。前半の古典的マルクス主義の解説と批判、後半のロールズ批判を中心に、他にもコーエンの自伝や本のタイトルと同じ質問を問うた倫理学的な議論などが含まれている。著者が分析哲学の学者なだけに、議論は明瞭で分かりやすい。この種の本としては数式とかはないので読みやすいが、それでもきちんとした議論なので慣れてない人には追うのが大変かもしれない。一般向けとしてはちょっとレベルが高いが、政治哲学に関心のある人や知的好奇心のある人なら挑戦する甲斐はある。

著者のG.A.コーエンは分析的マルクス主義で有名な哲学者である。分析的マルクス主義とは、マルクス主義分析哲学のように明確に論じることを目的とした分野である。それまでマルクス主義は曖昧な語りで話を誤魔化してきた所があったのに対して、本気で論理的にマルクス主義を論じようという野心的な立場だ。

正直、分析的マルクス主義はもう終わった学問分野とも言えなくもない(現行で盛んとは言えない)。それなら読む価値がないかというと、そうでもない。現在でも未だにマルクス主義について語られることは多い。だがその場合、分析的マルクス主義のことは無視されて、(単に反資本主義を叫ぶだけみたいに)再び曖昧な語りに戻りがちだ。感情的に酔いたいのではなく、本気で論じたいと思うなら、分析的マルクス主義については知っておくべきだ。

始めの方でコーエンの自伝的な話をした後、この著作の中心では、前半の古典的マルクス主義への解説と批判、後半のロールズ批判をしている。本のタイトル(平等主義者の金持ちの話)の問いは、最後の講義だけで扱われている。マルクス主義については、科学的社会主義・宗教批判・プロレタリア論…と主要な論題が明瞭に整理して論じられている。ロールズ批判は少しは知識がないと分かりにくいが、そのインセンティブ説批判は独特だが説得力はある。

この著作の特徴は、ともかくその議論の明瞭さにある。科学的社会主義については、ヘーゲルにまで遡って説明されているが、そのヘーゲルについての説明も分かりやすい。そして、その議論の明確さにゆえに批判も鋭い。だから、この本を読むとマルクス主義に対して下手な希望を持てなくなるが、それを欠点とするべきではない(それが嫌なら曖昧な文学的な語りで一生酔ってて下さい)。

この本は分析的マルクス主義の著作としては読みやすい方だと思うが、それでも初心者に読みやすいとは言いがたい。特にロールズ批判については、ロールズについての公正な説明が伴ってないので分かりにくい(誤解を招く)。また、第一講だけは全体の流れから浮いていて、いきなり読まされて戸惑ってしまう(次講の自伝と関わりがあるようだが、全部読み終えた後でも浮いてる感は変わらない)。第一講を除けば、著作全体のまとまりは良いので、そこは読み飛ばしても差し支えないだろう。

自分はマルクス主義についての本は何冊か読んだことがあるが、こんなにもマルクス主義について明瞭に論じている著作はなかった。コーエンのロールズ批判も、有名な共同体主義によるロールズ批判よりもよっぽど明瞭だ。最後には本のタイトルの問いも見事に整理されている。正直この本は結論はよく分からないが、議論の明瞭さは徹底している。マルクス主義や政治哲学について明確な議論している著作としては素晴らしく、読んで挑戦する価値はある。

追記

書評では、分析的マルクス主義は既に終わった分野である(でも知る価値はある)程度に書いた。しかし、例えばこの本で述べられている(空想的社会主義に対する)科学的社会主義については、現在の加速主義の源でもある。実際に加速主義ではマルクスが先駆者としてよく挙げられる。

科学的社会主義と加速主義

科学的社会主義の基本は、資本主義はいずれ崩壊して社会主義へと移行するという歴史の法則があるとする立場だ。科学的社会主義が科学的と呼ばれるのは、資本主義を道徳的に批判しているのではなく、資本主義は勝手に自壊すると示したから科学的とされた。こんな説は今では誰も信じてないはずだ。

もし科学的社会主義が正しいなら、資本主義を加速させればいずれ自壊するとなる。これが元となるマルクスから導かれるオリジナルの加速主義の源だ。ただし、科学的社会主義の退潮と共に左派で元の加速主義を信じる人はあまりいない。現在では、素朴に資本主義を加速させると自然環境が破壊されてそうは戻らなくなると分かっているので、左派に素朴な加速主義者はほぼいない(左派加速主義はいるが主張が違う)。

科学的社会主義が崩壊したら、加速主義を信じる妥当な理由があるとは思えない。代わりに、現在の加速主義は社会ダーウィニズムの言い換えのように使われることがよくあるが、社会ダーウィニズムもとっくの昔に否定されていて、簡単には採用できない(少なくとも私は代わりとなる妥当な議論を見たことない)。

加速主義については、他にも人工知能を用いた議論とかもあるようだが、もはや何を加速させているのか?よく分からないので、ここでこれ以上は論じない。

プロレタリアの連帯とマルチチュード

この著作を読んで、あれ?と思った所がある。それはこの著作でコーエンがプロレタリアートの連帯を絶望的だとしていることだ。この本の原著の出版年は2000年であり、ネグリ&ハート「帝国」より前のはずだ。まるでコーエンはネグリ&ハートのマルチチュード論を前もって否定してるようにも見えるのが面白い(実際に正しかったのはコーエンのようだ)。

コーエンのロールズ批判

書評にも書いたが、コーエンのロールズ批判は共同体主義ロールズ批判よりもよっぽど説得力がある。日本には共同体主義ロールズ批判を安易に受け入れている人が多いが、その人たちがロールズを正しく理解してるとはどうも思えない。

同じロールズ批判なら、同時代的には(自由の優先性を問題にした)ハートの批判が有名だったし、コーエンより後ならバーナード・ウィリアムズによるリアリズム的なロールズ批判も悪くない。ただしリアリズム的な批判は、転回後の後期ロールズにはあまり当てはまらない。対して、コーエンの批判は後期のロールズにも当てはまりうる(注では政治的リベラリズムも参照されてる)。

ただし、コーエンのロールズ批判はあまりに強烈すぎて、じゃあどうせいゆうの?と疑問しかない。コーエンはフェミニズムの「個人的なことは政治的なことである」というスローガンの影響を受けて、エートス(個人の振る舞い)が大事だという。でも、こういう公私の分離の否定の議論には、それでどうしろと?としかいつも思わない。実際に対案がある訳ではない。

コーエンによるエートスの重視

このエートスの重視から、最後の講義での平等主義者の金持ちの話につながる。ただこれも、平等主義者の金持ちが大量の寄付をしない理由を整理して、どれも説得力がないと言ってるだけだ。それはそうかもしれないけど、だったら金持ちが平等主義者であることをやめればいいだけでしかない(それで矛盾はなくなる)。説得力のある倫理学の議論によって人々が道徳的になる訳ではない。

このような―そして、これよりもっと平等主義的な―さまざまなエートスが浸透していくための条件を明確に定義することは、哲学者の役割ではない。しかし、哲学者も、利得最大化のエートスは社会の必然的特徴でもなければ市場社会の必然的特徴でもなく、このようなエートスが普及する度合いに従って、格差原理は満足の行くものではなくなる、と言うことはできる。

コーエン「あなたが平等主義者なら、どうしてそんなにお金持ちなのですか?」 p.259より

この引用がコーエンの立場を示している。彼によれば哲学の役割は、特定のエートスが(平等主義には)満足できるものではないと示すことでしかないようだ。単なる道徳的な押し付けよりはマシだと思うが、倫理学的な議論だけで人々が特定のエートスを身につけられるとはとても思えない。

私は自然主義者なので、「さまざまなエートスが浸透していくための条件」を哲学者も科学者と共に考えていけばいいと思っている。例えば、ナッジ論にはその側面が部分的に含まれているように思う。少なくとも倫理学的な空論を繰り返すよりはよっぽどその方が有望だと思う。

とはいえ、日本には自然主義者があまりに少ないので、私と意見の合う人があまりいない。いるのは、(右も左も)非科学的な奴らや、科学的成果のご都合主義的なつまみ食いか、そんなのばっかりでうんざりしてくる。

おわり

私がこの本を読んだきっかけは、ネットに上がってるジョセフ・ヒースの分析的マルクス主義についての翻訳記事を読んだことだ。分析的マルクス主義については前にネットで調べて論文は読んだことはあったけど、一冊ぐらいはちゃんと当人の著作を読もうと思ってたまたま当たったのがこの著作だ。

最初に読んだときは、あれ?搾取の話は書いてないんだ!と思ったが、しばらく経ってから読み直してみたら、よくまとまった良い本だと思うようになった。ホントは少し古い本だし書評はいいかな?と思っていたが、ネットの新刊を追うだけの傾向にウンザリしてる(お前の興味関心や問題意識はなんなの?)ので、こういうのを出すのもいいかな!と思うようになった。

というわけで、これからはたまに古い本の書評をここに書くかもしれない(さすがに手に入らないものはやめとくつもりだが、実は昔に古本屋で手に入れたボロボロの無名の本のお勧めもなくはない)。