自由エネルギー原理の予測処理的な大枠を自分なりに理解してみる

自由エネルギー原理については、このブログでは既に何度か批判的な議論を紹介している。フリストンブランケットやメカニズムとの関係についてはすでに記事をあげたが、私自身の自由エネルギー原理への印象は相変わらず良くならない。他に気にしてる話題がなくもないのだが、自由エネルギー原理は最近ネットに上がっている関連論文の数が多く出てきており、どうしても気になってしまう。

もちろん詳しい議論は専門の学者にやってもらうしかなく、私としてはそれに期待している。ただ幾本も文献を読んでも自由エネルギー原理への基本的理解があまり定まらない。例えばある日本の有名学者は論文で運動や主体感はactive inferenceでこそ扱えるかのような書き方をしているが、運動も主体感も自由エネルギー原理が影も形もない頃から予測符号化で扱えることが知られている(運動はWolpertら、主体感はFrithらの研究があった)。

自由エネルギー原理について数式がたくさん書いてある論文は日本語でもいくつもある。だが私のこれまでの経験上、(この件に限らず)数式を論文や記事にたくさん書いてる人がその数式の意味をちゃんと理解している訳では必ずしもないことは承知している(分かってるなら数式の説明しろよ!)。結局は自分で努力して理解するしかない(いつものことだ)。

この記事は、元々は自由エネルギー原理の核となるactive inferenceについて自分なりの見解を書く予定だった。しかし、フリストンらが今年出したばかりのある論文をつい最近見つけて、そこにかなり詳しく説明されていたので、ここでは抑えめに書くことにした。てか、active interenceが実は思ってた以上に未完成の発展中なのに驚いた。

予測処理の説明を引用して私が注釈する

以下は、ある論文からの引用を翻訳して、そこに私が注釈します。書くのは完全に私なりの理解なので、正確に知りたい人は自分で確かめてください。

自由エネルギー原理(予測処理) = 予測符号化 + 能動的推論

予測処理の見方の元では、生成モデルの予測が実際の観察と比較されて、モデルと観察との間の違い(予測誤差、形式的には自由エネルギーと同等)は階層の中で上へと送られる。神経システムの目的は階層の各段階を通してその予測誤差を最小化することである。これは二つの方法で達成される:つまり、実際の観察と合う確率(the probability of the observation)を最大化するように世界の状態を推測することによってであり、これは知覚に相当し予測符号化の枠組みで典型的にモデル化される;または、その予測を実現させる機会(the chance of meeting those predictions)を増やすために世界の中でデータをとったり(sampling)行動を起こしたり(acting)することによってでもある。この後者の形を想定するモデルは能動的推論(active inference)モデルと呼ぶことにする。

Martina G. Vilas , Ryszard Auksztulewicz & Lucia Melloni "Active Inference as a Computational Framework for Consciousness"pdf版のp.5より翻訳

自由エネルギー原理と予測処理との関係が曖昧なのは以前の記事で触れたが、ここでは共通部分だけが説明されてます。自由エネルギー原理は独自に拡大しており、例えば一般的にフリストンブランケットは予測処理理論の中には含まれなく、自由エネルギー原理に独自に付け加わっていると考えていいと思う。

私自身の自由エネルギー原理への元々の理解は、予測符号化に階層化とactive inferenceを加えたものだった。 しかし、予測符号化を階層化するだけではあまりオリジナリティがない。それよりはこの引用にあるように、自由エネルギー原理を予測符号化とactive interenceを組み合わせたものと理解する方が分かりやすい。予測符号化とactive interenceはそれなりに独立してるので、個人的には予測符号化はそれだけで完成度が高いので先に勉強してしまうのがお勧め

ここまでactive interenceをわざと訳さないできた。それは理由がある。日本語の文献で定訳となっている「能動的推論」に疑問があるからだ。なぜならactive interenceは、予測符号化のperceptual inference(知覚的推論) と対照となる用語だからだ。知覚に対応させるなら行為の方が相応しい1。「能動的」の訳語は、身体化(特にenactivism)を思わせるが、それは必ずしも実態と合わない。この後で説明するように、(能動的にする)新たなデータの取得は、active interenceの目的の一つであるが、それは唯一の目的ではない。かと言って、行為的推論と訳しても分かりにくいので、ここでは定訳に従う。

既にあった予測符号化とは異なり、active interence(能動的推論)こそが自由エネルギー原理の革新であり、これを説明するのが上の引用のすぐ後に続く次の引用だ。

能動的推論の核心は期待される自由エネルギーにあり

能動的推論(active inference)モデルはこのようなことを含意している:システムは今ここでの驚きを最小化するだけでなく、行為の連鎖としての方策(policy)を選ぶ過程を通して期待される驚き(expected suprise)も最小化する。この最小化は二つの方法で達成されうる:つまり、事前設定によって定められた報酬(rewards)を得られる可能性を最大化するような実際的な(pragmatic)行為を行なうことによってである。またもう一つは、探索によって得られる情報を最大化するような認識を高める(epistemic)行為を行なうことによってだ。すなわち、未来の状態についての信念と何らかの状態についての可能性を表した仮想的な(counterfactual)信念と特定の方策を選んだ時にあったはずのその結果とを生成モデルは持っていなければならない。階層上の各段階での状態の間での変化は上の階層によって定められることになる(contextualized)。

Martina G. Vilas , Ryszard Auksztulewicz & Lucia Melloni "Active Inference as a Computational Framework for Consciousness"pdf版のp.5より翻訳

予測符号化が今ここでの驚きを最小化するのに対して、能動的推論は未来における驚きを最小化する。未来における驚きは期待される驚きとここでは呼ばれ、日本語訳で期待自由エネルギーと呼ばれるのと同じである。(引用では説明されてないが)行為の連鎖のことを方策(policy)と呼び、期待される驚きを最小化するような方策が選ばれる。

期待される自由エネルギー(驚き)は二つの項を持った数式に分解できる

EFE(期待される自由エネルギー)には色んな分解法がありうるが、等式3.1で示されたのは最も重要である。なぜなら、EFEは外在的、目的指向型の項(文献によっては道具的値とも呼ばれる)と内在的、情報探求型の項とに分けられるからだ

Beren Millidge,Alexander Tschantz&Christopher L. Buckley "Whence the Expected Free Energy?" p.454より翻訳

ここにある外在的項が実際的行為に対応し、内在的項が認識を高める行為に対応する。つまり、将来的に報酬を得ようとするか?新しい情報を得ようとするか?を総合的に判断しようとする2RPGのゲームで説明すると、今の街の周辺で経験値や金を貯めるか?マップの先を探索して新しい街を探すか?を選ぶことに値する。または、今の会社に残って働き続けるか?今の会社を辞めて転職や起業をするか?を選ぶのにも近い。起業して一時的に収入が減ったとしても将来的に大金持ちになれるならそれを選ぶだろう。

ちなみに、能動的推論で説明できる現象としてよく挙げられるのは、目立つ所に注意が向くこと。ただ、極端な例(報酬なしであからさまに顕著な情報がある)なので、説明できてる感があまりしない。

能動的推論に私が何となく感じる疑問

ある行為を選んだ時にどんな状態になるか?の計算は、マルコフ過程(直前の状態によって次の状態が決まる時系列の計算)によって行なわれるらしい^3。具体的な計算は今の私にはまだよく分からないが、何となく感じる疑問はある。

最も極端な例を挙げると、どうせ将来のいつか人は必ず死ぬのだから、何をしても無駄だ!という鬱的な判断をそもそも避けられるのだろうか?(ある所で悲観的予測の問題と呼ばれていたのと同じ)。これはケインズがした古典的な経済学理論(均衡システム)への指摘と等しい。真っ暗闇問題(dark room problem)も、きっとこの暗闇から脱出したら良いことがあるんだ!という知識と欲望に従って脱することができるのだ。つまり時間的な先の計算がいまいちよく分からない。最も悲惨な将来を想定して何もしない(途中経過を計算するまでもない)ような悲観的予測はありうる(今のままの生活を続けるだけなので珍しい選択とは言えない)。こうしたことを本当に数式化できてるのか?

もう一つ意地悪な疑問を挙げると、能動的推論が行動を起こす前に全てを計画するプランニングのモデルに見えることだ。このプランニングモデルは人類学者サッチマンが批判した古典的認知科学で採用されていたモデルだ。プランニングモデル(世界を正しく表象して前もって正しい行動を決める)に反対するような形で現れたのが、AIのサブサンプションモデル(ブルックス)とも言える。つまり、自由エネルギー原理は身体化に与してるように言われるが、(表面的な数式的な洗練化にも関わらず)能動的推論が採用してるようにも見えるプランニングモデルが身体化以前の古臭いものに見えなくもない。古臭いモデルだからいけない訳ではないが、身体化に与しているかのような言説と合っていないのは問題だと思う(そんなことは始めから言わなければいい。それで能動的推論の価値は下がらない)。

こうした私の現時点での疑問が正しいのか?よく分からない。それは各自で確かめてください。


  1. 知覚のトップダウン効果は、知覚が単なる感覚からの受動ではない点では能動的である。しかし、これは予測符号化で説明できる事態であり、active inferenceとは関係ない

  2. 期待される自由エネルギーを下げる方法としては、他にニッチ構築のように環境を変えることが指摘されることもある。ただ理屈としては分かるが、どうやって数理的にモデル化するのか?どうもよく分からない。

人工知能は知覚の逆問題を解いたのか?

正直なところ、今の人工知能なんて驚異的な統計装置かもしれないけど所詮は生きた心とは似ていない…と最近は高をくくっていた。でも、次の記事を読んだときはマジかもしれないと思い始めた

NeRFの仕組みがどんなものかいまいち分からないのでまだ評価しがたいところもあるが、このような説明には納得できるところもある

テネンバウムは、このほどMITの助教授に就任したヴィンセント・シッツマンの研究を紹介する。シッツマンらのグループは、限られた数の2D画像を基にニューラルレンダリングの技法を用いて物体の3Dイメージを生成する発想を、19年に初めて披露した。
シッツマンらの研究のテーマは、本物そっくりの完璧な3Dイメージを作成することではなく、不完全な写真から物体のおおよその形状を推測するアルゴリズムをつくることだった。これは人間が習慣的にこなしていることだと、テネンバウムは言う。「例えば目の前にあるコーヒーカップを手に取ろうとするとき、手が近づいていくと同時に、人間の知覚システムは自然にカップの背面がどの辺りにあるかを推測しています」と彼は言う。

二次元の画像を「高精度な3Dイメージ」に変換するアルゴリズムが、AIの進化を加速させる | WIRED.jpより

この引用に出てくるテネンバウムは私の好きな学者の一人であり、私がベイズを勉強しようと思った最初のきっかけは彼の影響でもある。その彼による説明はそれなりに説得力を感じる

この紹介されている技術で基本となる「二次元を三次元への変換」は、視覚研究では最重要課題である。認知科学においても2Dイメージから3Dへの変換は重要であり、ギブソンによって(網膜上の二次元イメージとしては)否定された後にマーがあらためて持ち出したいわくつきでもある

大気中を通過する光の動きを利用したこのアルゴリズムは、3D空間の各データポイントの密度と色を計算するよう設計されている。これにより2D画像をどこから見てもリアルな3Dイメージに変換することが可能になったのだ。

二次元の画像を「高精度な3Dイメージ」に変換するアルゴリズムが、AIの進化を加速させる | WIRED.jpより

これを読むと、もしかしてNeRFはマーの夢を叶えた技術では?という期待は大きい

二次元の三次元への変換は私達が日々行っていることであり、当たり前のようである。しかし、二次元を三次元へと変えるのは「逆問題」(inverse problem)と呼ばれる難しい問題でもある

逆問題とは何か?

逆問題とは結果から原因を探る問題であり、原因から結果を導く順問題とは違って独自の困難を伴っている。すごく簡単な例を出すと、1と2を足し算すると3になるが、これは順問題である。逆に足すと3になる数の組み合わせは何か?を問うのが逆問題である。これは簡単な例だが、ほとんどの逆問題は一意に答えを導くことはできない。

例えば、サイコロの一面だけがこちらに見えていたときに、見えてないところを含めてそれを立方体として認識できるのは当たり前ではない。見えてない面が存在しなかったりもっと複雑な形だったり、といった複雑な可能性は日常的には排除されている。他にも世の中は逆問題にあふれている。例えば病気の診断とは、表れた症状からその原因となる病気を推測することだが、症状だけから病気を当てるのは実はとても難しい。推理小説の探偵は、犯罪が行われた後にその犯罪が誰がどのように行なったか?を当てるのだが、これも逆問題である

逆問題は、学校で出されるような問題とは違って、答えが一つに定まらない方が普通である。この逆問題の特徴は、設定不良(ill-posed;非適切)と呼ばれる。例えば、図形の一部が隠されていてもまとまった一つの図形として認識されるが、それは隠された部分もなめらかにつながっていると勝手に想定されているからだ。この場合は「なめらかなつながり」という前提の設定によって、始めて答えとしての図形を推測できるようになる

逆問題では、与えられたデータだけからは答えがうまく出せないので、前提となる知識を付け加えることで答えを導きやすくする。こうした逆問題の構造はベイズを用いたモデルによって表わすことができる。ベイズの説明は長くなるのでここではしないが、逆問題とベイズの共通点は生きた心の特徴にも応用できることでもある

ニューラルネットワークの欠点はどうなった?

逆問題については前々から説明したいと思っていたが、今回やっと取り上げることはできた。しかし、逆問題の広がりと心の科学における重要性を説明し切ることはできない。とりあえずNeRFが逆問題を扱えたことの重大さだけは分かってもらいたい。ただ、NeRFがニューラルネットワークの欠点をどこまで克服できているか?は私にはまだよく分からない

ディープラーニング(階層の深いニューラルネットワーク)があまりに大量のデータを必要とするところが、生きた心とは似ていないことは前にも指摘した。今回の技術もここをどう解釈すればいいか?まだよく分からない。しかし、生きた心も三次元への変換を生まれてから一から全て学んでいる訳ではない気もするが、そもそも生き物が生まれてから三次元を認識できるまでにどんな知覚情報をどれくらい得ているか?もよく分からないので、解釈のしようは色々あるのかもしれない

前にも説明したが、ニューラルネットワークが得意なことを大雑把に分けると、(非線形な)回帰分析とパターン認識がある(もちろん別の分け方もありうる)。どちらも高度な相関的なパターンの学習から可能になっている。どちらにせよニューラルネットワークは、バイアスはそのまま反映されるし、ある種のノイズにも弱い

ニューラルネットワークは小さな相関をだんだんと組み合わせていってマクロなパターンを見つけ出してるので、相関を細かく錯乱させるノイズがマクロなパターンの判断に影響を与える。だが、これはマクロなパターンを細かなノイズとは独立に認識できる生きた心とは似ていない。しかし、これはパターン認識の点でニューラルネットワークが生きた心とはあまり似ていないというだけで、今回の技術への影響ははっきりしない

今回の、知覚の逆問題を解くニューラルネットワークはこれまでの回帰分析やパターン認識のような応用とは様子が違うと感じる。逆問題は生きた心の根底に関わる問題であり、これに取り組めたことの持つ応用可能性は計り知れない。現実世界を自由に動き回る人工知能ができるかもしれない…と懐疑心の強い自分でも期待したくはなる

おまけのおすすめPDF

ネットにある日本語の逆問題の記事はたいてい物理学や工学のモノが多く、お世辞にも読みやすくない。以下のpdfは、認知科学との関連に触れられてる手軽な読みものです→「逆問題と認識論

自由エネルギー原理とラカン理論を(マルクスを介して)比較する

そのうち自由エネルギー原理(または予測処理理論)について自分で説明したいとは思っていた。前々から、自由エネルギー原理とラカンの三界論(象徴界想像界現実界)には共通点があることには気づいていたので、それをテコにして説明しようと色々と調べてはいた。もはやこれで説明になるのか?よく分からなくなってきたが、とりあえず記事にはしてみた

自由エネルギー原理とラカン理論を比べてみる

この記事を書く準備として、自由エネルギー原理とラカン理論について調べていたら、次のような論文に当たった

John Dall’Aglio 「Sex And Prediction Error, Part 2 : Jouissance and The Free ENERGY PRINCIPLE IN NEUROPSYCHOANALYSIS」

まず、この論文にある自由エネルギー原理についての説明が簡潔なので、それを翻訳引用してみます

自由エネルギー原理によると、脳はベイズ推論マシンのように作動し、経験について確率的な「予測」を生み出す。それらの予測は感覚のフィードバックと比較されて、その結果である差異は「予測誤差」とか「驚き」とか「自由エネルギー」と呼ばれる。このモデルでは、脳は感覚印象の受動的な受け手ではなく、むしろ脳は「予測モデル」を作ることでその経験を積極的に説明する

John Dall’Aglio"Sex And Prediction Error, Part 2 : Jouissance and The Free ENERGY PRINCIPLE IN NEUROPSYCHOANALYSIS" p.717より

説明としてはだいたい合ってると思う。マクダウェル(またはセラーズ)の指摘するように、私たちの経験は単なる感覚からの受動ではなく、能動的な産物なのだ。私たちの中には世界についてのモデルを持っていて、無意識の内にそのモデルを(予測の形で)積極的に用いているのだ。モデルからの予測と感覚からのデータを比較して違いがある場合は、予測の元となるモデルをその違いに沿って修正することで、世界についてのより正確なモデルを作り続けることになる

ここで、モデルを象徴界、予測誤差を現実界と考えると、自由エネルギー原理とラカンの三界論との類似性に気づく。現実界とは象徴界の失敗する地点として説明されることが多いからだ

実は、私が最初に二つの理論の類似性に気づいたのは、引用した論文には触れられていない想像界についてだ。予測処理理論によれば、現実の世界においては予測外のことが起こりうるが、想像の世界では予想外のことは起こりえない(意図した予想外は本当の予想外ではない)。もし現実の世界で全てが自分の予測通りのことしか起こらなかったら、もしかしたらこれは夢では?と疑うだろう。予測との関係は現実と想像を区別する有力な基準でもある

しかし、自由エネルギー原理とラカン理論との類似性はここまでであり、実際には決定的な違いがある

享楽は、予測能力を超えて生じる剰余または残余の予測誤差に関わりを持っている。それらの予測誤差は予測能力に対して特に目立った激しい特徴を持っている―それらはホメオスタシスに達するための予測モデルの失敗で生じる

John Dall’Aglio"Sex And Prediction Error, Part 2 : Jouissance and The Free ENERGY PRINCIPLE IN NEUROPSYCHOANALYSIS" p.724より

自由エネルギー原理(予測処理理論)では、予測誤差は内部モデルへと全てが回収される運命にある。しかし、ラカン理論では(享楽の源となる)現実界象徴界には回収されえない。ここが、自由エネルギー原理は科学理論だが、ラカン理論は科学理論ではない証だ。引用した論文では、自由エネルギー原理との類似性からラカン理論を科学的に捉える可能性を指摘しているが、私自身はむしろラカン理論が科学理論に抗する部分こそが重要だと考える

ラカン理論をマルクスから理解してみる

これから書くのは、一般的に理解されてるラカンマルクスを私なりに解釈して、かなり雑に合理的な再構成をしたものです。正確に理解したい人は専門家の説明を見てください

剰余価値と剰余享楽について

ラカンの剰余享楽を理解するために、アイデアの源となるマルクスにまで遡ってみたい

本稿で検討するラカンセミネールにおいて、マルクスの名が引用されるのは、彼の「剰余享楽(le plus-de-jouir)」という概念がマルクスの「剰余価値(la plus-value)」という概念から来ていることをラカン自身が明言するときである

番場寛「ラカンにおけるマルクスの遺産」p.51より

マルクスの言う剰余価値とは何か?それはこういうことだ。ある商品を売って得た金額の中には、その商品を作るのに費やした労働力の分の価値が含まれているはずである。しかし、資本家の側は労働力に対して払う金額を値切って、その分の浮いた金額を自分の懐に入れてしまえる。この浮いた差額が剰余価値と呼ばれる。ただし、マルクスは価値を実体化していて限界革命後の経済観には合わない所もあるが、それは資本家の側が商品で得られた金額の配分を決める(労働者への配分をケチる)とする現代的解釈にもできるが、その話はここではこれ以上しない

(本来の標準的な価値から)予測されるより以上に得られる価値が剰余価値なら、剰余享楽とは象徴界によって予測される以上の享楽を得られることだ。これを説明するのに都合のいい事例が陰謀論だ。陰謀論は事実に沿って論理的に判断すれば、正しい所はないに等しい。しかし、陰謀論を信じる人にとっては陰謀論が真実なのか?間違っているのか?は重要ではない。例えば、陰謀論を信じる他の人たちとのコミュニティとの一体感を味わえるのであれば、そこに真偽を超えた価値を感じる人はありえる。そこに剰余享楽が生まれる

ただし、この形で理解すると剰余価値剰余価値には奇妙なところが生じる。陰謀論を信じる瞬間は象徴界から外れてるので剰余が生じるが、陰謀論を信じ続けてる人にとってはその陰謀論はその人の想像の範囲内なので剰余はなくなるはずだ1剰余価値についても、マルクスのように労働の持つ本来の価値からの搾取の結果として見るか?他の市場価値との相対的な差異(労働者への賃金を他の競合する雇用者より低くする)として見るか?で意味合いはかなり異なる。ここには、象徴界想像界との違い(市場価値と搾取の関係)が関わっていると思うが、ここではそういう議論はしない

ここでした説明は、私がかなり強引に合理的に整理したものだ。正確には各自で関連文献を読んで確認してくださ

ラカン理論の側から自由エネルギー原理を眺める

ここまでの議論は何を意味しているのか?ここで最初に引用した論文の著者は、剰余享楽に相当する神経メカニズムの発見に期待している気配があるが、私はそれは無理があると思う。ならば、ラカン理論は所詮は非科学的なお話だと捨て去るべきなのだろうか

自由エネルギー原理(予測処理理論)については、著名な研究者がこれは心の統一理論だとか万物理論だとかと称している。このブログでは、それが誇大宣伝ではないか?との疑いを示す記事は既にあげている。自由エネルギー原理(予測処理理論)で現時点で説明できそうにない現象は色々と挙げられているが、認知的なバイアスはその典型例であると思われる

(自由エネルギー原理を含む)予測処理理論については、表象主義のように世界についての正しい表象の追求と見るのであれ、反表象主義のように世界への適応性の追求と見るのであれ、学習によって内部モデルを修正する部分は共通点である。しかし、陰謀論信者のように、特定の信念は絶対に手放すことなく、その核となる信念に都合のいいように他の信念や証拠を信じるようになることもある。ここには内部モデルへの柔軟な学習や修正はあまりない2

内部モデルの修正を超えたところにあるのが、ラカン理論が扱おうとしている享楽や欲望の領域であり、そこをわざわざ科学に譲るべき必然性はないかもしれない3

おわりに

動機や欲望のような心の核にある動因は、認知科学にとっては直接の研究対象ではない^4し、他の科学領域でも単なる記述や分類を超えているとは思えない。自由エネルギー原理(予測処理理論)も例外ではないと思う。そういう科学では扱うのが難しい部分について、ラカン理論に限らず4そこを指摘し続けることは私は重要だと感じる


  1. もっと卑猥な例を挙げてみよう。始めてのある変態行為によってそれまでにない激しい性的興奮を覚えたとして、その興奮を忘れられずにその同じ変態行為を繰り返しても、最初ほどの性的興奮は感じられないかもしれない。その同じ変態行為にしか性的興奮を感じられない人がいても、それはもはや条件付けされた興奮でしかない可能性が高い。そうなると、元と同じぐらいの興奮を得るためにはその変態行為はどんどん過激になっていくだろう。しかし、その過激さはただの量的な増大であって、質的な剰余ではない。経済で例を挙げると、なんでも目新しいものが安易にイノベーション(革新)と呼ばれがちなのは罠だ。本当のイノベーションとは(例えば)これまでなかった需要を喚起する商品であって、小手先の工夫で市場で売り抜ける行為とは異なる。剰余は求めて得られるのものではなく、むしろ求めれば求めるほどますます得られなくなる

  2. もちろん陰謀論者は内部モデルの壊れた精神的な病を患ってるとすれば、辻褄は合う。ただし、この方向をとるなら精神的病であると認定するための明確な基準を設けないと、自分が異常だと思える事例にいくらでもご都合主義的な判断をくだせてしまう。当然ながら、ここでは精神病理的な判断基準について議論する気などない

  3. 正確には内部モデルの修正にも量的と質的の違いがありうる。単にモデルにある既存のパラメータの値を変えるだけの量的な修正と、パラメータの構成そのものを見直してモデルの構造自体を変える質的な修正は全く違う。アルゴリズムで書けるのは基本的に量的な修正だけである。質的な修正は人の行なうアブダクションによる発見と関わりがある(ただしアブダクションにも量的[選択]と質的[創造]の違いがある)。内部モデルにニューラルネットワークを使うこともできる。前にも指摘したが、ニューラルネットワークはあくまでデータから相関的なパターンを学んでいるだけであって、データの元となる世界の構造を学んでいる訳ではない。ポール・チャーチランドやヒントンはニューラルネットワークによってデータから世界の構造をも学べることを夢見てるはずだが、それが可能か?は今の所よく分からない

  4. というか、学者や臨床家に限る必要もない。本文ではラカン理論に甘く書いたが、動機や欲望を扱うのが学問である必要はない。というか、そんなことは当のラカン自身が暗にほのめかしている。でも、ラカン精神分析家という臨床家に対してはまだ甘い