評論

ポストモダン化したネオリベな世界に適応した正義感たち

グローバル化の進んだネオリベな世界において、社会問題を様々に分散させることによって力を持たせなくするのはどういうことを意味しているのか。ある人(集団や世代)が特定の社会問題ばかりを問題視していることは、様々な問題が並列状態になったネオリベ…

用いられている概念の整理と基礎付け問題

宮台ブログの記事(http://www.miyadai.com/index.php?itemid=430)に関連して、使われている概念を整理をしてみました。 何が人間的かは結局は合意手続き(正統性)の問題だが、何が人間かは全ての前提たる自明性(正当性)の問題だと。 複雑な社会における正…

宮台真司のエリート主義

私自身は宮台真司のエリート主義(http://www.miyadai.com/index.php?itemid=383)には全面的には賛成できないけれど、言いたい事が分からなくもない。その点からあえて宮台真司を擁護してみよう。 資本主義や民主主義はその参加者に過剰な合理性を求める。(…

日本は一次観察と二次観察とが乖離した不毛な空間

「サードオーダー」問題に関連する文章を書きました http://www.miyadai.com/index.php?itemid=365に関連させて…。分かりやすく言えば、一次(ファーストオーダー)の観察とは現実への観察であり、二次(セカンドオーダー)の観察とはその観察の仕方への観察…

現在の日本はすでに日本的ファシズムと等価な政治的スノビズムに陥っている

今の日本じゃ蛸壺化も棲み分けもすっかり進んで、国内の違った領域の人の間でコミュニケーションすることはありえないし不可能だしそもそもやる気がない。他者への想像力を欠いた利己的なネオリベとか、仮想の敵や問題を見つけ出しては必死に叩く自己満足な…

ベンヤミンとニーチェとの微妙な関係

ベンヤミン話を少しだけ。宮台真司はベンヤミンに限らず、いつも分かりやすい説明をしてくれるのに感心する(「尊敬する中平卓馬に言及した文章をアップします」 http://www.miyadai.com/index.php?itemid=336←これに比べて某文芸雑誌に連載の北田氏によるベ…

アイロニーって、行なうことに価値があるのであって、それについて語ることにはないんじゃないの

今回の宮台真司(http://www.miyadai.com/index.php?itemid=318)は、最終的な結論(アイロニー観)はもっともだとしても、だからなんだっていうんだと思いたくもなる。私は宮台真司がここから先に進まないのに嫌気が差している。もしかしたら…と何度も期待し…

宮台真司にかこつけてプラトン話をする

何だか宮台真司すごいです(http://www.miyadai.com/index.php?itemid=317)。以前の安易に逆説に頼る語りよりはよくなっているが、話が複雑で中身が濃くなってきている。私個人としては歓迎するが。初期/後期ロマン派問題は私も興味を持っていた(ちなみに私自…

宮台真司の右翼宣言と反りが合ってない超人と俗人の対立

この文章(http://www.miyadai.com/index.php?itemid=310)は、超人(マイヨール、ソクラテス)vs俗人(マイヨルカ、プラトン)という対立で成り立っている。しかし、その対立は実のところ均一ではない。マイヨールvsマイヨルカの対立とソクラテスvsプラトンの…

亜細亜主義による問題解決は果たして可能か

はっきり言って今度の宮台真司はレベルが高い(http://www.miyadai.com/index.php?itemid=309)。脱落者は必至か。こんなのばっかり公開していれば、トラックバックのレベルも上がるかもしれないが、その前に読む人が少なくなってしまう(それでも構わない気も…

宮台真司の再帰的決断からフーコーの「生存の美学」の方へ

宮台真司の政治=社会分析は相変わらず面白い(http://www.miyadai.com/index.php?itemid=302)。この文章で宮台真司は、初期ギリシア的=ルーツ右翼的=欧州リベラルの価値観、を提示している。初期ギリシア=プレ・プラトン的、つまりソクラテス以前といって…

パサージュは現代社会の叙事詩である--社会思想としてのベンヤミン論--

仲正昌樹の著作のベンヤミン観が面白かった。ベンヤミンとは、戦前のドイツの思想家である。仲正昌樹は、ベンヤミンのパサージュ論をポスト・モダニズムと結びつけて、あちこちを歩き回っているだけの弱い革命論と見ている。パサージュとは、ウィンドウ・シ…

宮台真司は不毛な監視社会を避けることができるのか

宮台真司は、本来の専門の社会学的話をさせるとやはりすごい(http://www.miyadai.com/index.php?itemid=281)。それに比べると、東浩紀の監視社会論などたいしたことない(http://it.nikkei.co.jp/trend/column/opinion.aspx?i=20050810gc000gc)。相変わらず、…

ルーマンの芸術論からの引用に対する読解

ルーマンの晩年の著作からのある程度まとまった引用を見つけたので、ちょっと読解してみようと思います(日曜社会学>出不ろぐ de√Blog http://d.hatena.ne.jp/contractio/20050805)。ちなみに、私自身はこの著作を読んだことありませんので、引用部分だけの…

宮台真司は日本の戦争責任を正当化できたか

今回の宮台真司は難解だ*1。しかし、言いたいことはただ一つのようだ。「日本は戦争責任を取れ!」。これを正当化したいがために論旨を展開しているようだ。基本的な意見としては賛同できる。ただし、なぜこんなにめんどうな理屈を必要とするのかは、この文…

東浩紀のSF的情報化社会論

ひさしぶりに東浩紀(id:hazuma)の情報化社会に関する考察を読んだ(日経のサイト「ITPlus」*1 )。東浩紀の「情報自由論」は連載中に面白く読んだが、実のところ当時からその論には違和感を感じていた。それは次の理由からだ。 環境管理型を完全実現した高度ユ…

プロレタリアな文学への道

宮台真司の右翼/左翼の違いの定義に関連したおもしろい記述を見つけたので、以下にその部分を引用してみよう。 (24)今日、大文字の右翼と大文字の左翼との差異がぼやけていると云々されることが多い。これに惑わされないためには、二つの概念が左右対称では…

混乱した用語「再帰性」

宮台真司の弟子とも言われる鈴木謙介のインタビューを読んだ。すでにここでも私の書いた評論の最後でも触れられた「再帰性」について話している。私は「再帰性」は「反省」と(多少の違いはあれ)実はそれほど変わらないのではと書いた。しかし、鈴木謙介は…

宮台真司の実存主義

今回の宮台真司はキルケゴールさながらである(http://www.miyadai.com/index.php?itemid=275)。それも「死に至る病」のキルケゴールというにふさわしい内容である。私は人生でこれまでにいろいろと経験してきたけど、結局はどの選択肢も不毛なのではないか…