2005-11-01から1ヶ月間の記事一覧

経済活動において人が知る情報はいかなる役割を果たすか

言葉による情報が現実における情報と一致するとは限らない。その一致を直接に確かめられなければ、あとは信頼によって納得するよりほかはない。これを理解していない人があまりに多すぎる。欠陥商品とか欠陥住宅とかはその場その場の対処だけでごまかしても…

さらに宮台真司でニーチェネタ

宮台真司は理論と実践を対立させていること自体が問題だと思う。芸術家であるワーグナーはまだしも、一著述家に過ぎないニーチェにどうせいと。理論と実践の対立はもちろん言説と行為の対立とは一致しない。宮台真司は、ニーチェは下らないおしゃべりばかり…

宮台真司にかこつけてプラトン話をする

何だか宮台真司すごいです(http://www.miyadai.com/index.php?itemid=317)。以前の安易に逆説に頼る語りよりはよくなっているが、話が複雑で中身が濃くなってきている。私個人としては歓迎するが。初期/後期ロマン派問題は私も興味を持っていた(ちなみに私自…

ホラティウスの詩

古代ギリシア・ローマに関するネタも好きな私はこんなブログも読んでたりする(http://d.hatena.ne.jp/prokopton/20051119/p1)。リンク先は古代ローマの詩人ホラティウスの詩の翻訳です。下ネタな内容なので覚悟してください。邦訳「ホラティウス全集」がいま…

認知科学のポストモダン化と意識の脱構築の二つの方法

認知心理学は1960年代に成立した当初は、人の心をコンピュータ・メタファーによってアルゴリズムのようにモデル化しようとする試みだった。それまでの主流の心理学での行動主義が人の心を観察不可能なブラックボックスとして研究していたのとは対照的である…

地味さに耐えられない私たち

近代文学は終わっただの、現代思想は終わっただの、と言う言葉を見るたびに、あぁまたバカがひとり、とか悪態ついてしまう。だいたい、何かが終わっただの言うやつには危機感など全くなく、すでに自分に慣れ親しんだ物への追憶か権威的な人物への追従かに過…

私が主流の進化心理学に期待しない理由

現在の主流の進化心理学は社会生物学の系譜にある。テュービー&コスミデスによって創始され、ピンカーによって宣伝された分野だ。しかし、面白いとは思うしそれなりの成果もあることは認めるが、私にはあまり可能性は感じられない。理由は簡単だ、古生物学…

やおい理解の基本文献「子供が叩かれる」

フロイトの論文「子供が叩かれる」。20世紀初めのヨーロッパで書かれた論考にもかかわらず、日本のオタクやヤオイの理解にとても役立つ。この論文では男性と女性が空想する「子供が叩かれる」という幻想を比較している。日本と欧州という異なる文化にもか…

認知科学とは何か

ネット上をのぞくと、認知科学とは何かがあまり理解されていないような気もする。日本の認知心理学の大御所、波多野誼余夫先生による認知科学の説明にリンクしておきます(http://www.kawai-juku.ac.jp/prof/ninchi/ninchi-hatano.html)。ようするに、人の心…

認知科学系のサイトのリンク集(その2)

認知科学ネタばかりですみません。普通に読める記事もまだ手元にはあるのでもう少しお待ちください。でも、認知科学も久しぶりに触れてみるとちょっと面白い。でもまあ、研究者(院生)になっていない時点ですでにやる気が無いともいえる。科学なんて地道で…

日本の心理学についていろいろ

日曜社会学>出不ろぐ de√Blog の沼上『行為の経営学』への感想(http://d.hatena.ne.jp/contractio/20051101)を読んだ。実のところ、心理学も状況は変わらなかったりする。

宮台真司の右翼宣言と反りが合ってない超人と俗人の対立

この文章(http://www.miyadai.com/index.php?itemid=310)は、超人(マイヨール、ソクラテス)vs俗人(マイヨルカ、プラトン)という対立で成り立っている。しかし、その対立は実のところ均一ではない。マイヨールvsマイヨルカの対立とソクラテスvsプラトンの…