今、ポーランドの認知科学の哲学が熱い!

今、ポーランド認知科学の哲学が熱い!

今の時代、様々な論文がプレプリントやオープンアクセスの形でインターネットで公開されている。認知科学関連の論文もネットで検索すると、英語で書かれた最新の論文がしょっちゅう見つかるので手に入れて読むことが多い。英語で書かれた論文は(日本語での論文に比べれば1)全般的に質は高めとはいえ、世界中の様々な学者によって書かれているので玉石混交なのは致し方がない。

最近も、ネットで手に入れた有象無象の(英語の)論文をよく読んでいた。最近の認知科学はコロナ禍と再現性問題が相まってややこしい状態にはあるが、自分はもともと(主に実験に基づく)オリジナル論文よりもレビュー論文や理論的(哲学的)論文を読むことが多いので、読みたい論文は減っていない。その中で、今年出たばかりのある予測処理理論の最近の展開を概観する論文を見つけて強く感心した。

それは上にリンクした Michał Piekarski"Understanding Predictive Processing. A Review" という論文だ。これは、予測処理理論の概略的な説明・ベイス脳としての議論・予測処理としての議論の順にまとめられているが、その構成がとても見事だ。理論の説明は、数式を一切使わずにキーワードで上手くまとめられていて分かりやすい。予測処理としての議論も、ここのブログで去年今年に取り上げた論文(「専制による統一」論文やフリストンブランケット論文)も参照されており、文字通りに最新の議論が手際よくまとめられている。予測処理理論は現在流行の最中で、(特に哲学者によって)乱雑に論文がたくさん作成されがちだが、その中でもこの論文は哲学的な概論としてとても優れている。今から予測処理理論に入るなら、まずはこれを勧めてもいい2

論文の質の高さに感心した後で、あらためて著者を確認してみるとポーランドの学者であることが分かった。納得!そうなのだ。近年、ポーランド認知科学の哲学は、圧倒的にレベルが高くなっているのには気づいていたが、こうして、また新しい学者による素晴らしい仕事が出てきたには驚いた。

自分が最初にポーランドの学者に気づいたのは、前にこのブログの2010年代のベスト論文にも選んだ Paweł Gładziejewski"EXPLAINING COGNITIVE PHENOMENA WITH INTERNAL REPRESENTATIONS: A MECHANISTIC PERSPECTIVE" がきっかけだ。これはネットでたまたま見つけた論文だが、始めて読んだときは〜認知科学にはまだこんな可能性があるのか!…と本当に感激した。予測処理理論の表象主義の議論ではこの学者の名前はよく出てくるのだが、参照されるのは別の論文であることが多く、この論文があまり知られていないのはとても残念だと感じる。

それからポーランドの学者という視点で眺めてみたら、もっと著名な学者が実はポーランドの人だと気づいた。それはMarcin Miłkowskiで、代表作は"Explaining the computational mind"という計算主義についての著作だ。この著作は私は読んでいないが、同じ学者によって書かれた"Objections to computationalism : A survey"という、計算主義批判を集めてそれにバッサリ反論した論文を読んだことがあり、個人的にとてもお気に入りになっている。最近はこの人は意味論的情報(Semantic Information)についての論文を幾つか書いており、個人的にはそれにも注目してるが、既にここで触れた重要な論文の共著者も実はこの人だったりする。

それは、Piotr Litwin&Marcin Miłkowski"Unification by Fiat: Arrested Development of Predictive Processing" 統一理論としての予測処理理論を批判した「専制による統一」論文だ。最近は、統一理論や万能理論としての予測処理理論(や自由エネルギー原理)を批判する論文は増えつつあるが、やはりこの論文が早くかつ質が高い。

他にもポーランドの学者はいなくはないが、今のところめぼしい活動をしているのはこの辺りだろうか。なぜポーランド認知科学が盛んなのか?私にはよく分からないが、共通に見られる独自の特徴はある。それはポーランドの学者が計算主義に好意的なところだ。近年は反表象主義の影響で計算主義に悪意を抱く哲学者も多い中で、これは注目すべき特徴だ。20世紀後半にオーストラリアでアームストロングを代表とする唯物論哲学が盛んになったことがあるが、もしかしたら21世紀のポーランドは計算主義的な哲学の場として将来は知られるようになるのかもしれない。


  1. ここで日本の認知科学ガラケー並のガラパゴス振りを語っても良いが、詳しくは別の機会にする。軽く説明すると、日本の認知科学は20世紀までは世界的水準の学者が普通にいたのに、21世紀に入ってから段々とガラパゴス化が進んでいった。ガラパゴス化は独創的な成果を生み出す可能性もあるので一概に悪いとは言えないが、20世紀までの状態との差があまりに激しくて、私のような認知科学オタクはかえって引いてしまうところがある。なぜそうなったのか?の個人的な見解はあるが、それをするともはや壮大な(?)日本社会論になってしまうのでこんな注では済まない

  2. あえて文句を言うなら、予測処理理論の歴史を語る上で、先駆的な研究者としてヘルムホルツやナイサーには触れられてるが、より直接的な先駆者である伊藤正男や川人光男には触れられていないは不満。ただし、この傾向はこの論文だけでなく、近年の予測処理理論の論文に全般的に見られる傾向である。当時までの文献をかなり網羅してたRick Grushの有名な予測符号化のレビュー論文ぐらい読んどけよ!…と個人的には思う

書評 クライヴ・ウィン「イヌは愛である」

イヌは愛である 「最良の友」の科学

犬の心について人との接触で育まれる愛情の視点から様々な科学的な研究から論じた著作、興味深い部分はあるが全体としてのまとまりは悪め

犬は人との触れ合いによって愛情を育んで社会的能力を発揮することを、様々な科学的な成果から論じていく作品。著者の本来の専門である動物心理学から論じた最初の数章は出来が良いが、より広い分野の研究に触れる残りの章は、テーマには沿っているがまとまりには欠ける

解説を書いてる人は、本書で紹介される実験をした研究者であるが、あくまで専門は生理学寄りでこの本の著者の専門の動物心理学とはズレる。そのせいで、解説というより本体とは独立した補足に近い。だいたい解説では著者の専門を犬の認知科学だとしてるが、本書を読んでいても認知科学っぽい話はあまり出てこない。ただしそう勘違いした理由は分かる。それは第一章でされる犬の社会的能力に関する論争に関係している

犬の家畜化を巡る論争

第一章は本書の中でもっともよくまとまりのある内容で、犬は家畜化によって進化的に人と接するための社会的能力を手に入れたとする説に対して、著者が反対する立場が説明されている。この家畜化説を主張する代表的な研究者がヘアである。私はヘアがトマセロと共著で書いた論文は知っていて、家畜化説が21世紀になってからの動物心理学を引っ張ったと思っていた

ここで皮肉なのが、犬の人との社会的能力の生得説をとるヘアに対して、人と接する経験を重視する著者という構図だ。これは、言語能力についてチョムスキーの生得説に反対するトマセロという構図と似ている。しかし、ヘアがトマセロの元から出た学者だと考えると、その構図が対照的なのに気づく

この辺りの事情から、著者が認知科学に関係してる…と思うのは分からなくもない。とはいえ、他でされてる愛着の研究を始め、本書で紹介される研究のほとんどは認知科学とは方向性が違う。いやそれどころか、どうも著者は認知科学についてあまりよく知らない印象が拭えない

著書の描く全体的な構図の一貫性のなさ

著者の描く構図には多少の混乱もあるが、基本的に著者が反対するのは能力が始めから身に付いてるとする生得説と、感情のない条件づけされる機械であるとする行動主義である。犬の訓練では長らく条件づけトレーニングが当たり前だったことを考えると、行動主義の影響は馬鹿にできない。しかし、特に本書で紹介される餌を与えられるより人に撫でられる方がその人に馴染みやすいとする研究は動物機械観には反してるようで印象的である

犬を人と接して生まれる愛情の視点から眺めるのは一貫してるが、本書全体ではその論じ方には問題がなくもない。例えば、あるところで感情の構成説で有名なリサ・バレットを参照しながら、別の箇所では犬の表情を分類する研究を当たり前に紹介してたりして、これ一貫性あるの?と疑問に思ったりした。他にも、犬をエピソードで理解するのは危険だと言っておきながら、(科学的研究でなく)あちこちで犬のエピソードが紹介されてたりと、時々矛盾を感じなくもない

しかし、もっとも疑問に感じるのは著者の行動主義との関係だ。一方で生得説に反対し、他方で行動主義に反対している。感情を否定する行動主義に著者が反対するのもちろんは分かるが、その一方で行動主義には条件づけ的な経験説の側面もある。本書では犬でない動物でも人と接することで社会性が身につくとしてるが、どうも読んでると―それこそ(社会的報酬による)条件づけで説明できるのでは?と疑問に感じる。条件づけで説明できることにわざわざ他の要因を持ち出す必要はない

犬を愛によって捉えよう!とする著者の方針は分かるのだが、それを理解するための枠組みはそれほど整理されていない。そのために、部分的には興味深いことが書いてあっても、全体としてはまとまりがない。そのせいで、決してつまらなくはないにしても素直にはお勧めしにくい本になってしまってる

まとめ

本のタイトルは原題通りだが、どっちにせよ意味が分かりにくい。翻訳の副題は原題とちょっとニュアンスが違う。翻訳の副題の「最良の友」だと、人にとっての友である犬を思わせる。原題の副題は「なぜどう飼い犬はあなたを愛するか?」となっており、犬を主語に置いた元の副題こそが本書の内容をもっとも表すものとなっている

この著書でないと読めない独自の内容もあり、読んで損することは必ずしもない。しかし、学者の書いた一般向け科学書によくあるように、著書自身の行なった研究の描写がもっとも活き活きしてて、著書の専門内の説明はまだ分かりやすいが、それを超えると読みにくくなる…という事態はよくある。これもその典型に入れざるをえない

犬や心の科学に関心があるなら、試しに読んでみてもいいかもしれない。うまくハマれば面白いと感じるかもしれない…ただし私自身は部分的な面白さ以上の保証はしません

イヌは愛である 「最良の友」の科学

補足

この著作では、野良犬を集めた施設のシェルター犬をどう助けるか?は、著者が強い関心を持つもう一つの主題である。シェルター犬が人に馴染めるか?は引き取り手を探す上で重要である。本の中にシェルター犬の話はかなり出てくるが、書評の本文では流れ上で触れられなかった。その方面に興味があるなら、この本はもっと薦められるかもしれない

それから、著者の立場上で仕方ないかもしれないが、本書では家畜化の説明が少ない。解説ではそこを補って、家畜化の解説もされてる。なので解説はむしろ補足の側面が強い。犬については家畜化説が主流であるがゆえに、それに対抗するこの著作の立場は異色だ。その割に家畜化説を十分に論駁してるとも言い難い。この辺りの事情もこの本を素直にはお勧めしにくい理由かもしれない

後は完全に個人的な見解

犬の心理学実験をした成果から家畜化論が導かれたと考えると、シェルター犬をも対象にする著者の考え方は、WEIRD問題(心理学実験の被験者が豊かな西洋人に偏ってる問題)とも似ている

心理学実験の対象が人に飼われた豊かな犬に偏っているせいで、犬の人との社会的能力が過大視されてる可能性はある。そういえば、双子研究でも参加者が豊かな側に偏ってるのでは?という批判は聞いたことがある。被験者(被験犬?)が豊かな側に偏ることで、経験の持つ役割が過小評価されがちな可能性がある。経験される環境の差が小さければ、その分だけ相対的に生得性が高めに出るのはある意味で当たり前だ

書評 グレゴリー・バーンズ「イヌは何を考えているか」

イヌは何を考えているか 脳科学が明らかにする動物の気持ち

動物の神経科学について著者自身の研究エピソードを混じえながら語る科学エッセイ

動物の脳を研究する著者が、自身の研究の具体的なエピソードを混じえながら、動物の心について科学的に語る著作。動物の心についての科学書として質が高いのに、内容はエッセイ的で読みやすい稀有な作品。著者の経験や見解が反映された現在進行形の科学が描かれており読みやすい。お薦め

犬を生きたまま調べる脳イメージング研究やアシカやイルカの脳や既に絶滅したタスマニアンタイガーの残された脳をスキャンしたりと、著者自身が行なった動物の脳の研究について、成果の説明だけでなく、その研究する過程やきっかけと共に描かれている。その点では、単なる科学書というより科学エッセイに近く、活き活きした文章になっている

最後の章では動物倫理にも触れられているが、そこで分かるように著者は脳の研究を通して動物の心を生きたものとして理解したいと思っている。それはこの著者全体に反映している。著者の基本的な専門は動物の脳イメージング研究であり、生きた動物の脳を調べようとする意欲に溢れているのが読んでいて分かる。絶滅した動物の脳を解剖学的に調べている章でさえ、動物の生きた姿を想像しようとする努力が文章に表れている

全体的に文句のない出来であるが、少しだけだが著者の専門外のところでおかしなところがある。例えば、クオリアの話題では広い(一般的)意味と狭い(哲学的)意味が混じっているので、知識のある側から見るとなんの参考にもならない。三章で説明されてる心の科学の歴史的な概論も、大雑把には間違ってないと思うが、「脳が行動のためにある」のが後から分かったかのような誤解される書き方がされてる(始めからそれを否定する人はあまりいない)のが問題と感じた。とはいえ、この辺りは勘違いしてる学者はよくいるし、軽く触れられてる程度の記述なので目くじら立てるほどではないかな?とは思う

この作品は、概論的な説明になりがちなよくある一般向け科学書と違って、著者自身の研究経験に基づいて書かれている部分が多い。その上に文章力が高いので、科学的内容にも関わらず文学的なエッセイを読んでる気分にもなる。特に動物の主観や過去の描写が少し混じるタスマニアタイガーの章は、ある種の文学作品を読んでるかにも感じた

科学的な内容はレベルが高く、文章も読みやすくて魅力的なのに、なんでこの作品は高い評価を聞かないのか?私には全く分からない。脳研究を介して動物の心についてこんなに活き活きと語る著作なんて他にあるのだろうか?私としては、これはもっと広く読まれてほしい

イヌは何を考えているか 脳科学が明らかにする動物の気持ち


私は最近になってこの本を読んだが、出版されたのは一年ぐらい前である。こんなに面白い本なのに出版当時には話題に聞かなかったなぁ…と思ってネットで評判を調べたが、どうもうまくこの著作の魅力が伝わっていないと感じた。

ネットのレビューを見ると、「イヌは何を考えているか」 のタイトルで、それが分からないことに怒ってる人もいるが、それは見当外れ。そんなの分かる訳ない!と突っ込むまでもなく、そもそも原題と違う。原題はトマス・ナーゲルの有名な哲学エッセイ「コウモリであるのはどんなことか?」を、コウモリを犬に変えてもじったもの。動物の脳を研究すれば、動物の心がどんなものかは分かる!という著者の主張が反映されている。だいたい副題を見れば、動物の脳科学の本だと分かるはずなのに、世の中にはそんなことで怒る人が増えたのだなぁ〜と思わざるを得ない

私自身は読み終えてこの作品は読みやすいので誰でも理解できると思っていた。だが、ネットのレビューを見ていて感じたのは、どうもこの作品の面白さは心の科学についてその大変さや地道さを知らないと実は分かりにくいのでは?と思うようになってきた

脳イメージングの色とりどりの画像を見せられただけで科学的だと思いこんでしまう人は今でも多い。そういうカラフルな脳画像は脳イメージングがブームだった2000年代の段階で、既にクリスマスツリーと揶揄されていた。脳画像を見るだけで何を考えているか分かる…と勘違いしてる人もいるのかもしれない。この著作を読むと、認知神経科学はそういう安易なものじゃないと分かるはずだ

科学が単なる完成された知識ではなく、常に進行形である活動中の科学こそが知られてほしい。その点でも、この作品はおすすめ