書評 グレゴリー・バーンズ「イヌは何を考えているか」

イヌは何を考えているか 脳科学が明らかにする動物の気持ち

動物の神経科学について著者自身の研究エピソードを混じえながら語る科学エッセイ

動物の脳を研究する著者が、自身の研究の具体的なエピソードを混じえながら、動物の心について科学的に語る著作。動物の心についての科学書として質が高いのに、内容はエッセイ的で読みやすい稀有な作品。著者の経験や見解が反映された現在進行形の科学が描かれており読みやすい。お薦め

犬を生きたまま調べる脳イメージング研究やアシカやイルカの脳や既に絶滅したタスマニアンタイガーの残された脳をスキャンしたりと、著者自身が行なった動物の脳の研究について、成果の説明だけでなく、その研究する過程やきっかけと共に描かれている。その点では、単なる科学書というより科学エッセイに近く、活き活きした文章になっている

最後の章では動物倫理にも触れられているが、そこで分かるように著者は脳の研究を通して動物の心を生きたものとして理解したいと思っている。それはこの著者全体に反映している。著者の基本的な専門は動物の脳イメージング研究であり、生きた動物の脳を調べようとする意欲に溢れているのが読んでいて分かる。絶滅した動物の脳を解剖学的に調べている章でさえ、動物の生きた姿を想像しようとする努力が文章に表れている

全体的に文句のない出来であるが、少しだけだが著者の専門外のところでおかしなところがある。例えば、クオリアの話題では広い(一般的)意味と狭い(哲学的)意味が混じっているので、知識のある側から見るとなんの参考にもならない。三章で説明されてる心の科学の歴史的な概論も、大雑把には間違ってないと思うが、「脳が行動のためにある」のが後から分かったかのような誤解される書き方がされてる(始めからそれを否定する人はあまりいない)のが問題と感じた。とはいえ、この辺りは勘違いしてる学者はよくいるし、軽く触れられてる程度の記述なので目くじら立てるほどではないかな?とは思う

この作品は、概論的な説明になりがちなよくある一般向け科学書と違って、著者自身の研究経験に基づいて書かれている部分が多い。その上に文章力が高いので、科学的内容にも関わらず文学的なエッセイを読んでる気分にもなる。特に動物の主観や過去の描写が少し混じるタスマニアタイガーの章は、ある種の文学作品を読んでるかにも感じた

科学的な内容はレベルが高く、文章も読みやすくて魅力的なのに、なんでこの作品は高い評価を聞かないのか?私には全く分からない。脳研究を介して動物の心についてこんなに活き活きと語る著作なんて他にあるのだろうか?私としては、これはもっと広く読まれてほしい

イヌは何を考えているか 脳科学が明らかにする動物の気持ち


私は最近になってこの本を読んだが、出版されたのは一年ぐらい前である。こんなに面白い本なのに出版当時には話題に聞かなかったなぁ…と思ってネットで評判を調べたが、どうもうまくこの著作の魅力が伝わっていないと感じた。

ネットのレビューを見ると、「イヌは何を考えているか」 のタイトルで、それが分からないことに怒ってる人もいるが、それは見当外れ。そんなの分かる訳ない!と突っ込むまでもなく、そもそも原題と違う。原題はトマス・ナーゲルの有名な哲学エッセイ「コウモリであるのはどんなことか?」を、コウモリを犬に変えてもじったもの。動物の脳を研究すれば、動物の心がどんなものかは分かる!という著者の主張が反映されている。だいたい副題を見れば、動物の脳科学の本だと分かるはずなのに、世の中にはそんなことで怒る人が増えたのだなぁ〜と思わざるを得ない

私自身は読み終えてこの作品は読みやすいので誰でも理解できると思っていた。だが、ネットのレビューを見ていて感じたのは、どうもこの作品の面白さは心の科学についてその大変さや地道さを知らないと実は分かりにくいのでは?と思うようになってきた

脳イメージングの色とりどりの画像を見せられただけで科学的だと思いこんでしまう人は今でも多い。そういうカラフルな脳画像は脳イメージングがブームだった2000年代の段階で、既にクリスマスツリーと揶揄されていた。脳画像を見るだけで何を考えているか分かる…と勘違いしてる人もいるのかもしれない。この著作を読むと、認知神経科学はそういう安易なものじゃないと分かるはずだ

科学が単なる完成された知識ではなく、常に進行形である活動中の科学こそが知られてほしい。その点でも、この作品はおすすめ

正統派の進化心理学を知れる最近でた日本語の論文をお薦めする

私にとって進化心理学とは〜1990年代に勃興し、2000年代に広く流行り、2010年代になると批判が出てきて分野として落ち着く〜という経過をたどった学問分野で、今でも興味はなくはないか今さら論争するほどではない…と思っている。だが、これは欧米での事情であって、日本ではそうではなかったことは早くから分かってはいた

最近になって、日本で進化心理学についての論争をネットで目にすることがあって、正直な感想は「いまさら」だが、同時に相変わらず進化心理学の定義が曖昧なままに話が進むことにあきれる。とはいえ、これは日本の論者が特にひどいのではなく、当の欧米でも流行り時には(学者も含めて)進化心理学の意味合いが曖昧に広がっていた事情もあるので、仕方がない部分もある

意味合いが曖昧に広がりがちな進化心理学という言葉

これから、源となるトゥービー&コスミデスの伝統を受け継いだ正統派の進化心理学を知れる日本語の論文を紹介するが、その前によくある勘違いを確認しておく

進化心理学を心への進化論的アプローチそのものと同一視する人がたまにいるがこれは間違っている進化心理学は心への進化論的アプローチを広めるのに重要な役割を果たしたのは確かだが、これらは同じではない。心への進化論アプローチをする学者の全てが進化心理学に賛同してる訳ではない(例えばトマセロ)。

それから、文化進化を進化心理学の一種としたり、社会環境への適応をも進化心理学と呼んだりする学者もいる1。ただそれだと、文化を受け継ぐ学習が進化心理学に含まれてしまう。これでは、進化心理学の勃興時に起こった相対主義構築主義への批判とぶつかってしまう。たとえ文化進化のselection(淘汰)の側面とのアナロジーに注目しても、後で触れる行動生態学進化心理学の違いを無視してる点で問題がある

進化心理学の定義が勝手に曖昧に広がっているのは、議論する上で不都合が多いと個人的にはしょっちゅう思う。そこで、ここではトゥービー&コスミデスを受け継いだ正統派の進化心理学について、ここ最近出された日本語の論文を紹介しながら確認してみたい2

小田亮『「おせっかいなサル」の行動進化学』

まず始めに紹介するのは、小田亮『「おせっかいなサル」の行動進化学』です。これは講演を元にした読みやすい論文なので、ネットですぐ手に入るので直接に読むのをお勧めします。ここでは、この論文から進化心理学について説明してる前半だけに触れます。後半は利他性の研究について論じていて面白いので、こちらについては是非じかに論文を読んでください

この論文の何が優れているか?というと、ともかく進化心理学についての説明が的確で分かりやすいことだ。しかも、その説明される進化心理学がトゥービー&コスミデスを受け継いだ正統派のものであることが素晴らしい。残念ながら、進化心理学を研究してるはずの学者でも必ずしも正統派の方の説明をしてくれる訳ではない

進化心理学が心を進化から説明しようとする分野であることは前提として、その特徴がどこにあるか?の論文での説明を箇条書きしてみます

この違いに注目した著者は目の付け所が素晴らしいと思う。ちなみに行動生態学とは、社会生物学と呼ばれていた研究領域とかなり重なると思っていいと思う

この2つは何が違うかというと,非常に簡単に言ってしまうと,人間行動生態学では子どもの数を数えます。一方,進化心理学では子どもの数を数えません
小田亮「おせっかいなサル」の行動進化学 p.104より

ただし、リバースエンジニアリング認知科学から特徴を受け継いでいる。進化心理学は、子供の数を数えない代わりにリバースエンジニアリングをする、と考えればいい

  • 人の心が進化的に適応した環境を過去に設定する

つまり、人の心の進化的な適応は現在の環境への適応ではない。これは進化のタイムスパンを考えれば、そんなに奇妙な主張ではない

人の心が適応してきた環境のことを「進化的適応環境」というふうに言ったりしますけど,進化的適応環境というのは恐らく,現代とは違う
小田亮「おせっかいなサル」の行動進化学 p.105より

特に、行動生態学との違いと適応環境の設定とは進化心理学が登場した当時を理解する上では重要だ。それまで人の心を進化論的に説明しようとした社会生物学(行動生態学)が叩かれがちだったのに代わって、人の心をより適切に科学的に研究できる分野として進化心理学が出てきたことを反映してる3。どのように人の心を科学的に研究するようになったのか?を論じているのが、次に紹介する論文だ

小林佳世子「4枚カード問題からわかること―裏切り者検知・予防措置・利他者検知―」

進化心理学というと一番に有名なのは、心理学実験である4枚カード問題に対する裏切り者検出装置としての解釈であり、これは私も知った時は衝撃を受けた記憶がある4

4枚カード問題をめぐる進化心理学的な研究については、詳しくは紹介した論文を読んでください(ネットですぐ手に入って読みやすいのでお勧め)。以前の実験や仮説の問題を突いて、そこを改良した実験を行なう…という研究改良サイクルが概略的に描かれています。私も裏切り者検出装置のその後の展開についてそれほど詳しくなかったので、とても勉強になった

この論文でも、トゥービー&コスミデスから受け継いだ正統派の進化心理学の特徴に触れられているので、そこだけ箇条書きしておきます

  • 領域特殊なモジュールの集まりなアーミーナイフとしての心

またヒトの心は,適応上重要であった個々の問題の解決に特化したモジュール群から構成されるという,心の領域特殊性(domain specificity)という考え方が近年主張されるようになっている。その中で,4枚カード問題からみえてきたこれらの力は,領域一般的なものというよりは,進化の中で培った個別領域的な推論能力であることを議論してきた
小林佳世子 「4枚カード問題からわかること―裏切り者検知・予防措置・利他者検知―」p.331

論文中ではアーミーナイフには触れられていないが、進化心理学では領域特殊なモジュール5の集まりのことを、アーミーナイフ(個々が特定の役割を果たす道具の集まり)に例えるのはよく知られている。領域特殊とは裏切り者検知のような特定の役割を果たすことであり、何にでも使える一般知能とは対照的とされる


  1. 例えば「それぞれの自然環境や社会環境において適応的に生きていくのに適した行動傾向や心理的特徴が各文化の中で発達し、受け継がれていくという進化心理学的説明について述べている」google:外山みどり 社会心理学における文化研究の成果と課題のp.176より。ただし、文化進化で著名な研究者自身が文化進化を進化心理学の一種であるかのような発言をしているので、仕方のない勘違いとも言える

  2. 他にも、生得性の点で一緒に語られやすい進化心理学と行動遺伝学との違いも気になるが、ここでの話題とはあまり関係ないのでそこには触れない。これは一般化すると、個性(特性)や病気には進化的な適応性はあるのか?の問題となり、これも進化心理学と呼ばれることがある。これが正しいのか?は私にはいまいち確定できない。どっちせよ、本文で説明するのが正統派の進化心理学であり、こっちは良く見積もればそこからの派生としてなら認められるが、下手するとそもそも進化心理学と呼ぶのに無理がある。どっちが妥当か?私にはよく分からない

  3. ただし、行動生態学の子供を数えるという特徴は、淘汰単位が個体であることを意味しない。淘汰単位は遺伝子であるが、その話はこのブログでも前に触れた「社会生物学が還元主義的でないことを進化ゲームから理解する - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~

  4. 正直いうと、この衝撃に値する成果が進化心理学にどれほどあったか?個人的には疑問を感じなくもない。とはいえ、少なくともここで紹介する4枚カード問題の研究は真の意味で科学的に素晴らしい成果だと思うし、Just-so story(もっともらしいだけのお話)に陥らない進化心理学はこうであるべき!だと思う。私が進化心理学に批判的だとしても、それは証拠に基づかない安易さへの批判であって、この記事に挙げた論文に紹介されてる科学的な進化心理学の研究はむしろ歓迎

  5. ただし、進化心理学のモジュールがフォーダーのいうモジュールと同じとはあまり思えない。例えば、言語能力に進化的な適応性があることを認めたとしても、それが領域特殊だとするのは厳しいところがある。しかも、モジュール論の根拠の一つでもある脳の機能局在性も近年は疑われることがよくあり、現在のモジュール論の位置づけは私にはよく分からない

書評 ケイレブ・エヴェレット「数の発明」

数の発明――私たちは数をつくり、数につくられた

人の数的な認識を、(特に認知科学的な成果を中心に)様々な学問的な成果を紹介しながら考察していく、一般向けの読みやすい科学書。父親がピダハン論争で有名なダニエル・エヴェレットである、その息子ケイレブが著者。心ヘの文化の影響を重視するのはさすが親子で似ているだが、本の内容は慎重にバランスがとれている

人が物を数える能力を軸にして、(認知科学を中心に)幅広い視点から、分かりやすく科学的成果が丸々一冊の本にまとめられている。全体的に読みやすく書かれているが、特に心理学や人類学の成果を中心に解説する第二部から第三部前半にかけては出色の出来

あえて欠点を探すなら、少ないながらも部分によっては必ずしも読みやすくないところもあることだ。大風呂敷な話も個人的には読みにくかったが、図や写真をつけて説明すればもっと分かりやすかったのでは?と思わせる箇所もあった。この本全体に図や写真がほぼないので、ないものねだりかもしれない

ここ近年に出た日本語で読める一般向けの科学書としては、トップクラスでお薦め


この本がお薦めなのは、既に当たり前の前提として、あとは私が感じたことを書き連ねよう

父親ダニエルの生成文法批判について

私が始めにこの本を知ったときは、著者の父親があのピダハン研究による生成文法批判で有名な人…だと分かって心配してた。つまり、生成文法批判が強い論争的な著作ではないか?と懸念してた。だが、読んだらその心配は完全に払拭された。それどころか、こんなにバランスの取れたフェアに書かれた本は珍しい

父親ダニエルの(主流の)生成文法批判は、理論の核となる再帰性への批判として知られている。つまり、ピダハン語には再帰性がない!と主張された。これについては、ピダハン語には埋め込み(embedding)はないが、埋め込みは再帰性(recursion)の一種であるとはいえ、それが再帰性の全てではない…という言語学者の批判がもっともだと思う。そもそもピダハン語以前から埋め込みのない言語は知られていたとも指摘され、ダニエルの生成文法批判は完敗だな…が私の印象1

それを意識してか?は分からないが、息子の書いたこの本では、正面からの生成文法の話題は避けられている(注で軽く触れるだけ)。代わりに、言語の多様性を指摘することでこの共通性を弱める…という巧みな書かれ方がされている

認知言語学と心への文化の影響

父親ダニエルは、生成文法批判の後に、今度は認知言語学に接近し、(特に言語への)文化の影響を強調し始めた。息子はこの部分を受け継ぎ、この著作ではその側面があちこちで展開されている。例えば、過去や未来をどう手振りで表すか?には、文化によって多様性があることが指摘されている。これなど、まさに認知言語学的な成果だ

しかし興味深いことに、この著作は必ずしも認知言語学ベッタリに書かれていない。レイコフ的な数学観にサラッと触れて、安易だと否定されている。これは注だが、構文の重要性に言及した上でラテン語のような語順の自由な言語の存在に触れている。これなど、もし読者が構文文法を知っていれば、さり気なくその文法理論としての普遍性を否定してるようにも読める

こうした微妙な距離のせいか?は分からないが、この著作では認知言語学への直接の言及はない。著者が認知言語学を全く知らないとはとても思えないが、言語理論には一切踏み込まないことでバランスをとってるようにも見える

再現性問題への早めの対応

ここまでは、この本のバランス感覚の話だが、さらに再現性問題的な方向にもそれなりに対処した書かれ方がされている。この本の原本が出版されたのが2017年なことを考慮すると、ここ近年は出版されて何年かで再現性問題に直面してしまって問題視される著作さえある中、かなり早い対処となっている

と言っても、この著作での再現性問題は直接的な対応というより、もっと巧みな対処がなされている。作者にとって有利な対応としては、WEIRD問題への言及がある。これは心理学実験が西洋の豊かな人を対象に行われがちな問題だ。つまり、同じ実験が他文化では再現できないことであり、心への文化の影響を重視する作者にとっては、むしろ好都合な指摘となる

もう一つの対処は、以前の(主に実験)研究の欠点を指摘して、この欠点を直して改良された新たな研究をする…というサイクルを描くことだ。こうした研究のサイクルは私のような認知科学好きにはお馴染みで、認知科学的な研究の醍醐味でもある。この著作でも、そうした研究改良サイクルは描かれている。ピアジェの数量保存課題への批判とその改良実験は認知科学では比較的知られているが、それにも触れられている。研究改良のサイクルは元から書くに値する話題だが、結果として再現性問題への対処にもなっている


  1. ただし、これは主流の生成文法に問題がないことを意味するのではない。例えば、主流の生成文法では移動が必須であることへの批判がある。これはこの書評であとで触れる語順の自由な言語と関わりがある。ここでは個々の文法理論の是非についてはこれ以上は踏み込みません。私自身は文法理論についてそこまで詳しくはないので、ちゃんと知りたい人は自分で調べて下さい