さすがに最後の追記です
この話題は突込みが激しいな(しつこい自分も原因だが)。もらったコメントは生物学の専門知識のある方からなので感謝いたします(コメント欄が荒れなくてよかった)。カクレクマノミさんの理解方法は基本的に正しいと思います、とても参考になりました。ただ、比較認知科学も究極要因には言及してるよなぁ〜って思っただけですので、そこはShaxさんにはご了承願いますでしょうか。本格的な比較は面倒ですので、興味がおありでしたら皆様の方でお願いたします(トラックバックをもらえればうれしいです)。
で、後は余計なしゃべり。以前ここで、進化心理学と生態学的アプローチとは違うと言ったことがあります。私は認知科学の第二波の影響を受けた者で、生態学的アプローチに感銘を受けました(ヴァレラとかエドワード・リードとか…もしかしてトマセロもあり?)。私の進化心理学と比較認知科学との比較には、そうした視点がかなり影響しています(ただし進化心理学でも初期と最近とでは違いも感じますが)。その辺を考慮に入れてもらえると、私の言いたいことも分かってもらえるのではと思いますが(詳しい説明はとりあえず勘弁)。日本には社会生物学(寄りの進化心理学)の愛好者が多いので、ちょっとそのあたりに言及したいと思ったのですが、誤解しか与えないようですのでここでやめておきます(ネットは負の影響が大きい)。私はできる限り、一方的な批判だけでなく必ず積極的な提案も添えるように努力しているのですが(きつい突込みはへこむ)。でも、人文社会科学への橋渡しを叫ぶ進化生物学者(例えばウィルソン)のやり方は、むしろ人文社会科学からの反発が大きいだけと思います(生得-経験論争はもっと繊細な問題です)。それを防ぐのに生態学的アプローチの視点は必要だと思うのですがどうでしょうか。きちんとした議論(表現)がネットでも起きればいいんですけど…