認知科学と進化論、私の勝手な意見

エドワード・リードもトマセロもヴァレラも、そろいもそろって著作で参照しているのはS.J.グールドの方であり、ピンカーと違ってドーキンスの方ではない。この違いが、私が進化心理学生態学的アプローチを分けて考える根拠の一つにもなる。ここで誤解する人がいそうなので言っておくが、グールドであれドーキンスであれダーウィンへの支持には変わりはない。私は結構グールドは好きだが、その私でもグールドがそれはないだろうと突っ込みたくなる変なことを言っているのは全面的に認める。進化心理学の人が叩くのは明らかにそこだ。しかし、それでは本質的な点を見逃しているのも確かだ。
それならなぜ、エドワード・リードやトマセロのような優れた心理学者(ヴァレラは神経学者)がよりによってグールドを支持するのかの理由が分からなくなる。まさか進化論への理解が間違っているとかの傲慢な理由じゃ話にならない。エドワード・リードのダーウィン熱は並じゃないしヴァレラだってそれに準ずる(トマセロは動物研究もしてる)。進化心理学が究極要因による説明に極端にこだわるのに対して、生態学的アプローチは現状における環境との関係を重視する。現状から認識を環境との関係において理解しようとした上で、究極要因によって説明できるかを考える。結果として後天的な経験をある程度重視する。
一番いいのは進化心理学生態学的アプローチが互いに補完し合うことだけど、今のところそうもいかなそうだ(リードとヴァレラは故人だし、トマセロはピンカーに批判的だ)。別に必ずしも互いに排他的じゃないはずなんだけど…。これまた(他の対立のように)認知科学の解決されない問題として残されるのだろうか(それで生産的なら別にいいのだが)