W・ジェイムズ「心理学の原理 第12章 概念作用」より抜粋

  • 同じであるという感覚

 第8章で、物へのそのままの知見と物についての知識との2種の物の知識の間には違いがあることを描いた。このような2つの知識の可能性は基本的な精神的特徴に依存しており、その特徴は「心の意味における恒常性の原理」と題され、それは次のように表現できる:「心の流れの連続的な部分において同じものが考えられることができ、その部分のいくらかは他の部分が意味していたのと同じものを意味していると知る事ができる。」でなければ、このように言えるかもしれない「心は同一性を意図し考えたときには、いつでもそうできる。」
 この同じであるという感覚は私たちの思考のまさに中心であり支えである。私たちは第10章でどのように個人の自己同一性の意識が、今感じている暖かさや親密さと同じと認められる暖かさや親密さを記憶の中に見出している現在、に安定するのかを見てきた。この主体を知ることにおける自己同一性の感覚は幾人かの哲学者によって世界と共にあるところ唯一の乗り物として理解されてきた。もし主観的同一性の感覚が失われたとしても、対象を知ることにおける自己同一性の感覚がまさに機能を統一する同一性を演じるだろう、なんて言うことはほとんど必要ないと思う。外の物がずっとまたずっと同じであると考える意思や私たちはそうしたという感覚がなければ、私たち自身の個人的同一性の感覚は私たちの経験の宇宙をつくるのにほんの少ししか貢献しないだろう。
 しかしながら、最初の例において同じであるという感覚について心の構造のみの観点から述べてきたのであって、宇宙の観点からではないことに注意しよう。私たちは心理学的に説明するのであって、哲学的にするのではない。つまり、物には現実の同一性があるかどうか、その仮定において心が正しいか間違っているかどうか、には注意を払わなかった。心が同一性という考えを連続的に用いること、それが奪われたら心はもととは異なる構造になる、ということにのみ私たちの原理がある。すなわち、心には同一性を意味することができるとはその意味において正しいが、それ以外にはまったく必要がない、という原理〔1〕。心は同じものは以前と同じものであると可能性として思っていなければならない、なぜなら私たちの経験はそういう物事の種類であるからである。自己同一性の心理学的感覚がなければ、外の世界から同一性が私たちにずっーと押し寄せてきて、私たちは今以上に賢くないはずである。他方、心理学的意味において外の世界は絶え間のない流れであり、それでも私たちは繰り返された経験を知覚する。さて今や、世界は同じ物のなかった、二度との来ないようなところである。私たちが向かおうとしている物は上から下まで変わっているかもしれないし、私たちは事実を知らないかもしれない。しかし、私たちの意味そのものにおいては私たちはだまされない。私たちの意志とは同一性を考えることだ。私がそれを私たちの世界における恒常性の法則と呼んでいることにおいて、私がその原理に与えた名前はその主観的性格を強調し、私たちの心的構造の全特徴の一番の重要性がそこにあることを正当化している。
 すべての精神的生活がこのように発達した同一性の感覚を持っていると仮定すべきではない。蛆虫やホリプ(虫)の意識において、同じ現実性がしばしばそれに与えられるが、同一性の感じはほとんど生じない。しかしながら、作った網の上のクモのように前に後ろに走るとき、私たちは自分自身が自己同一的物質の上を動いている、異なった風にそれらを考えていると感じる。ほとんどの物質を同じであるとする人はほとんど哲学における人間精神を持っていると理解される。
(この節は終わり、以下まだ続く)
〔1〕哲学には他に二つの「同一性の原理」がある。存在論的原理はすべての現実のものはそのものである、つまりaはaであり、bはbであると主張する。論理学的原理は判断の主観の一度でも真としたものは常にその主観にとって真であると言う。存在論的法則はトートロジーな自明の理であり、論理学的原理はすでにそれ以上である。なぜなら、そこには時間によって変化しない主観が含意されるからだ。心理学的法則も了解されていない事実を含んでいる。思考の連続はありえない。もしあるなら、後のそれはそれ以前のことについて考え得ない。又は、もしそれがそうなら、それはそれの内容を呼び起こしえない。また、もし呼び起こしえるなら、それは他のと「同じもの」として受け取れない。
William James,1890,The Principles of Psychology,CHAPTER XII. CONCEPTION.

  • 訳者解説

ウィリアム・ジェイムズアメリカの哲学者で心理学者。有名なプラグマティズムの紹介者。ちなみに、創始者はC.S.パース。
数年前に、自分のHP用に訳したもの。ただし、そのHPはすぐに飽きてやめてしまいましたが。めんどくさいので、手直しは一切なし。気が向いたら、直すかも。
今現在、W.ジェイムズのこの代表作の翻訳は手に入らない。岩波文庫の「心理学」は、所詮は学生向けに要約した教科書なので、内容がいまいちです。最近、岩波文庫で論文集が手に入るようになった。読んでないが、私の持っている「根本的経験論」からの重複が多いので、まともな方だろうか。手元にある「宗教的経験の諸相」は読み進んでいない。
訳は全くこなれていません。文章は難しくないんですけど(むしろ名文)、訳しにくいんですよ。それから、どの訳もそうですけど、下手な意訳をするぐらいなら直訳するほうを選んでいます。哲学書だから、強引につじつまを合わせようとして、原文の意味を曲げるのはいやなんです。それに訳者には意味が分からなくとも、読者にはなんとなく意味が分かる可能性もありますから。
えっと、原文はe-textです。次のサイトからどうぞ(Classics in the History of Psychology:http://psychclassics.yorku.ca/index.htm
一応は出る手抜きな検索amazon:w ジェイムズ]と[amazon:ウィリアム ジェイムズ