ジョージ・エインズリー「誘惑される意志」

「誘惑される意志」ジョージ・エインズリーASIN:4757160119、訳が悪くて読みづらかったダマシオの本を読むと何となく理解できる気がしてくる。人は感情と言う基盤の上で意識を成り立たせている。感情なしの意識はありえない。ここで、近視眼な判断をする双曲割引を行なうのが感情で、指数割引を目指して白黒はっきりしたルールを適用するのが意識であると考えればよい。生物には双曲割引を行なう感情があるのが、人間だけがそれに反して指数割引を目指せる意識を進化上で(なぜか)身に付けたと言える。
と解説しといてなんだが、実のところエインズリーの説は認知的な説と相性はよくない。実際にこの本でエインズリーは認知論を自分の説と比較しようとしている。しかしどんな批判かと読み進めてみても、期待に反してそれは書かれていない。効用理論や行動主義へはきちんと批判がなされているが、認知論は最後までろくに言及されない。そのことによってこの本で描かれている理論の価値は下がらないが、期待してた自分としてはちょっと残念な気もする。確かに認知科学では動機や欲望は扱えない。それは行動主義や精神分析にお任せだ。エインズリーの説が扱っているのは動機や欲望だ。だから、認知科学に批判的な理由は分かる。しかし、双曲割引に限ってれば、別に認知的なヒューリィステックの理論とさして矛盾はない。数式で書けるかどうかの違いだ。双曲割引説であれヒューリィステック説であれ、生得的な意思決定装置があることを示唆することに変わりはない。
双曲割引とは何か。エインズリー自身の行なった動物実験の結果から引き出された理論だ。ここではそっちではなく、同じような結果の出る認知実験で説明しよう。この理論によると人を含む生物には目の前にある物の価値が特に強く重み付けされる傾向があり、もっと先にさらに多くが得られると分かってもこっちの選択肢は選ばなくなくことだ。今すぐ一万円もらうのと三年後に二万円もらうのとどっちがいいだろうか。…これに答えたらさらに質問。三年後に一万円もらうのと六年後に二万円もらうのとどっちがいいだろうか。…前者の質問には今すぐ、後者の質問にはどうせ待つなら六年後とならないだろうか。実際にはどちらの質問でも選択肢の間での時間差は同じなのだから、選択肢は同じ側である方が答えは一貫している。しかし、そうはなっていない。すぐにに手に入る方が魅了的に映ってしまう。双曲割引は実証的証拠がある心理学の教科書に載ってもおかしくない理論である。しかし、この本はそれで終わらない。
エインズリーは精神科医のせいか話をもっと先に進める。実証実験からきちんと分かるのは双曲割引が限界であるにもかかわらず、それをさらに壮大な理論に仕立ててしまうのがこの本の見所だろう。冒頭で挙げた双曲割引か白黒ルールかのどちらかに人は従うとか、過去の選択が現在の選択に影響する*1とか、欲望の遅延には価値があるとか、いろいろ。こちらには別にきちんとした実証的な証拠はないのだが、臨床医としての経験や様々な文献からの引用によって説得的に議論が進んでいくのには舌を巻く。エインズリーが認知論を批判して動機論を選ぶのはこうした発展的な話が目的だろう。感心するしかない。
そこをあえて認知論の側から批判すると、途中で意志と行動を別々に分けようとして論じるのには無理がある。やる意思はあったけど結局やらなかったって、それってやる気ゼロじゃん!意志があると信じることと意思が遂行されることとは全く違う。だから、認知科学は動機や欲望は安易に扱わないんじゃんか。この本の最初で「欲望か判断か」と言う議論がなされているが、私にはそれがきちんと答えられているように思えなかった。これじゃエインズリーが動機論をとるのは、その方が話が面白いからだと思われても仕方がない。まぁ、著作としては無類に面白いから別にいいか!*2

*1:これにもヒューリィステックがあった気もする。つまり保守的選択の傾向

*2:ちなみに、自由意志の話は期待しない方がいい。私には特に何か書いてあるとは思えなかった(話が錯綜しすぎ)。もし訳者解説にある説明だとしても単なる再帰創発説なので、それはそれでたいしたことない。さらにもし訳者解説の通りだとしたら、デネット説から社会的領域を外すとそのままエインズリー説になってしまうような。社会的な長期合理性=融通の利かない白黒ルール、な気がするのは気のせいだろうか。個人的合理性と社会的合理性ぐらい分ければぁ…。