マインド・クエストASIN:4062137305

この本の大半を占めるのは意識の現象学を素材にしたミステリー仕立ての小説なのだが、小説としての出来はそんなに悪くないとはいえ途中でちょっと読むのに飽きたので、第二部の哲学的解説編を先に読んでしまった。私は認知科学も哲学もどちらもそれなりに分かるので面白く読んでしまった。第一部と第二部はそれぞれ独立しているのだから、初めからこっちから読んでもよかったようだ。
第二部の「本物の蛍──意識の科学についての考察」は四つの章から成っており、前半の二章は現象学による意識の話、後半の二章はコネクショニズムや脳画像研究を用いた具体的な科学的考察になっている。第一章の「間違った道具箱」では、脳を探索局と考える、つまり単なる特徴の検出器の集まりと見る機能局在論からは意識は分からないことが説明される。ヒルの神経系や水槽の中の脳が例に出されて、外界との関係は意識にとって関係ないことが説明される。第二章の「本当の生──客観性についての主観的見方」では、意識の時間性を題材にした現象学の説明がなされる。第三章の「おもちゃの国の脳」では、シンプルな学習型コネクショニズムの隠れ層を統計的に探って、従来の脳画像研究法では意識は分からないことを証明している。第四章の「脳の時間」では、実際にfMRIによる脳画像研究の結果を用いて、現象学的な脳の見方を確かめている。
はじめに言ってしまうと、前半二章と後半二章とがきちんとつながりを持ってるかどうかが私にはよく分からない。前半二章はまるまる哲学の話で、後半二章は科学的な話になっている。後半二章で前半二章の考え方が生かされてはいるが、内容的に確証されているかどうかは私の見る限りでは怪しい。しかし、そんなことはこの本のこの部分の面白さを考えたらどうでもいいことかもしれないが。以下、興味深く読めた後半二章を要約してみる。
第三章のおもちゃの国の脳では、学習を行なった人工ニューラルネットワーク(CNVネット)*1の隠れ層を調べて、隠れ層のユニット全体の活動平均からも単一の隠れユニットの活動からも脳画像研究の標準的な方法(平均化と引き算)*2からも、脳の時間的変化(意識)を知るには十分ではないことを示し、隠れ層のユニットの全ての活動を考慮入れるべきだとした。そのために統計的手法である多次元尺度構成法(多変量解析の一種)を用いて隠れ層のユニット全体のダイナミックな動きを調べた。隠れ層のユニット全体の活動具合を予測するのに、その直前の隠れ層のユニット全体の活動具合が重要であることを示した。
次の第四章の脳の時間では、第三章の成果を踏まえてfMRIによる脳画像を調べた。それぞれの脳画像の類似性をボクセル単位(脳画像におけるピクセルみたいな単位)で統計的に調べた。その結果、時間的近接性、課題開始からの時間経過、刺激類似性、による脳画像の類似性が認められた。これは脳画像のノイズの多さを考えたらすごいことである。つまり、一つの脳画像に時間的近接性や課題開始からの時間経過や刺激類似性の要素が全体に遍在的に重ね合わされていることになる。この中でも特に時間的近接性は意識を知る上で重要である。こうした成果は意識の現象学的な見方と一致した結果と言える。
ここで考える、脳研究にとって時間が重要なのは分かったけど、それは意識にとって時間が重要だと現象学によって分かることとは別なんじゃないのか(無意識的変化かもしれないじゃん)。現象学が脳研究に示唆することがあったのは分かったけど、でもそこで調べているのが意識そのものかと言ったら…う〜ん?。第一章で意識をいわゆる認知から分けようとしていたから余計に引っかかる。意識と認知(認識)ってそもそも分けられるものなのか。はっきり言って私個人は意識そのものにはあまり興味がないのでしょっちゅう疑問に感じる。この著者の言っているようなら、意識もダイナミックな認知も同じことなんじゃねぇのか(後者なら私にも興味が持てる)。だいたい動物に意識があるかどうかも分からないし、そもそも他人に意識があることだって別にきちんと確証できるわけではない*3。脳画像を時間的に調べたからってそれで意識を調べていますとはっきりとは言えない気がする。
それから、脳画像の全体的な類似性を調べたからと言って、機能局在説(あるいはモジュール説)を否定したことには全くならない。その類似性には脳の機能局在部分が含まれているのを否定できないからだ。ここでの結果は、時間的近接性や課題開始からの時間経過や刺激類似性の要素が局在していることと排他的ではない。だいたい、時間的近接性が高い(時間的に近い)と脳画像の全体的な類似性が高いのって、直感的には当然な気もする(脳の変化が極端に早いのなら別だが)。よく分からない。さらにもう一つ批判。認知科学では現象学は優遇されなかったと言うこの著者が扱っているのは前期フッサールサルトル認知科学に早くから現象学を持ち込んだ人物に人工知能批判で有名なヒューバート・ドレイファスがいるが、彼が好んで扱ったのはハイデガーや(後期フッサールを経ている)メルロ・ポンティ。ここには大きなな違いがある。生活世界を扱う後期フッサールと違って、前期フッサールは内在主義的だ。認知科学はいろいろあって進化や文化を取り入れるようになったのに、また環境から隔絶したかのように意識を扱うのかぁ(実際に意識の進化論的な話なんて皆無)*4
とはいえ、この著者が脳画像研究の新展開をしたのは確かだろう(「認知神経科学」誌から賞をもらっているらしいし)。少なくとも私は読んでて面白かった。とはいえ、これまで読んだ限りでは、(大部分を占めるとはいえ)小説部分は本当に必要だったのかあやしい。そんなに言われているほど小説での哲学的内容が分かりやすいとは思えないし、小説として楽しむならこれである必要は別にない*5。そのせいか、個人的には面白い内容を含んだ本だと思うけど他人に薦めるのは躊躇してしまう。
著者ロイドのページ:http://www.trincoll.edu/~dlloyd

マインド・クエスト  意識のミステリー

マインド・クエスト 意識のミステリー

*1:使われているのはエルマンの単純回帰型ネットワーク。でもここで言われていることを一言で表わすと、意識は再帰的なネットワークから生まれる、となる。こうやって命題化してしまうと単純に思えてしまうからこわい

*2:脳の研究法(心理学寄り)についてのメモにある加算法と減算法を参照

*3:あなたは、こいつには本当に意識あるのかよ?って人物に会ったことありませんか

*4:著者のロイドも注で述べているが、彼の考え方は神経学者ヴァレラの考え方に近いながらも、ここで述べたような点から重要なところで違う。ヴァレラはメルロ・ポンティを参照しており、考え方が生態学的だ。ロイドにはそういった要素はほとんどない

*5:小説としての出来は悪くないと思うにしてもだ。ささっと先まで覗いた感じでは、スタニスワフ・レムの小説(または書評?前文?)を読むほうがよっぽど啓発的で面白いと思える。レムの作品も似たテーマを扱っているし、そもそも仕掛けのレベルが違う