選ばなかった方のチョコは「すっぱい葡萄」である

心理学者は確率計算が苦手? http://slashdot.jp/science/article.pl?sid=08/04/12/0419234
まず始めに困ったことは、この実験のどこが認知的不協和の実験なのか分かりにくいことだ。認知的不協和ってのは社会心理学ではよく知られている用語だ。有名なフェスティンガーの実験例はウィギペディアに説明があるのでそちらに任せて、意味だけ説明すると、要するに「認知的不協和」ってのは「すっぱい葡萄」のことだ。おいしそうな葡萄がなっていて、それを採ろうとしたが高い枝になっていて採れないときに、あれはどうせすっぱい葡萄だと思って立ち去る、って話だ。「おいしそうな葡萄」と「高い枝にあって採れない」の二つの考えの間に不協和が生じるので、あれは「すっぱい葡萄」であると自分に納得させるってことだ。リンク先で紹介されている実験がどうこの認知的不協和に当てはまるのかが、最初は私にはよく分からなかった。だが、この記事を書いているうちに分かってきた。つまり、選ばなかった方の色はおいしくないと思っている、と想定していたのだ。
Re:心理学の論文をいくつか読んだ感想 http://slashdot.jp/science/comments.pl?sid=397367&cid=1328753
コメント主が認知系好きっぽいのは私としては喜ばしいのですが、元実験が行なわれた1956年にはまだ認知心理学自体がなかったのだから、(用語に認知と付いてるとはいえ)分類すること自体が不毛では?ただし、多変量解析にあまりに頼った研究はあまりエレガントでないとは私も思う。そもそも認知系は多変量解析に頼るより実験計画で勝負するのが基本だ。
その確率計算の前提は? http://slashdot.jp/science/comments.pl?sid=397367&cid=1328993
初めから個体の好みを想定してるのではないと言う指摘は正しいと思う。つまり、始めにランダムな色のチョコを選んだとして、その後もランダムにチョコの色を選ばないとおかしい、という想定だと思います。だいたい、個体に好みがあるかなんて、それ自体を独立して調べれば分かることではないのか。しかし、ニューヨークタイムズの元記事では、有名な社会心理学者であるダニエル・ギルバートがこの指摘による誤りを認めている、ただしこの実験例限定で。コメントしているもう一人の心理学者も他の実験でもこの指摘が当てはまるかは怪しいとしている。その点では誤りを指摘した当人のDr. Chenは強気だが。
でも考えてみれば、フェスティンガーの実験ぐらいに負荷(つまらない課題)がかかれば別だが、認知的不協和があまりに簡単に実験室で出るってのはもしかしたら変かもしれない。実際に誤りが指摘されている実験例はあまりに実験状況がお気楽すぎるから、「すっぱい葡萄」効果が出るのは変な気がしてきた。
まぁ、要するに心理学ってのはこの程度の不確かな科学だ。でも私はそれを込みでも好きだけど(ただし認知系限定)。