書評 ファニーハフ「おしゃべりな脳の研究」

おしゃべりな脳の研究――内言・聴声・対話的思考

人の内なる声について、科学的成果を交えながら、それを研究する心理学者が分かりやすく伝えてくれる著作

内言や聴声について、専門に研究してる心理学者が、科学的な成果や様々な文献を参照ながら、一般向けに分かりやすく語った著作。前半は思考時に起きる心の中の言葉(内言)について、後半は実際には存在しない声がリアルに聞こえる現象(聴声)について、科学や文学からの色んな事例を取り上げて説明してくれている。ただし、内言と聴声を結びつける著者独自の考え方に基づいているが、そこは当人も認めるように証拠はまだ十分ではない。とはいえ、日本語で内言や聴声について科学的に扱った著作は珍しいので、興味を持ったならお勧め。

原題は「内なる声 どのように私達は自分自身と話すかの歴史と科学」。外からは分からない心の中で生じる声について、心理学や脳科学を参照する科学的な章と、文学や歴史を参照する人文的な章と、がだいたい交互に置かれて説明されている。

前半は内言研究の紹介。内言とは人が思考するときに心の中で話す言葉のことであり、ロシアの心理学者ヴィゴツキーが取り上げたことでよく知られている。内言は外からは分からないので研究は難しそうだが、元からは独り言(私的発話)の研究として、近年は脳画像の研究として、調べられている。この著作では特に、著者自身も関わった経験サンプリング法と呼ばれる、突然にブザーがなった時間にすぐに内的経験を聞く手法に基づく記述が多いのが特徴だ。科学書としてみた場合、この前半が断然に面白い。

後半は聞こえないはずの声が現実と同じように聞こえる聴声がテーマとなる。聴声は幻聴とも呼ばれて異常扱いされがちだが、必ずしもそうではないことが説明されている。ただ後半は精神病理学的な側面が強く、前半とはちょっと様子が違う。著者独自の理論によって内言と聴声には関連があるとされて、それによって前半と後半がつながっている。

内言であれ聴声であれ、まとまって日本語で読める科学的な著作は他にないので、貴重な翻訳である。科学的な視点からみると物足りない所がなくもないが、そもそも発展途上の研究テーマなのだ。最終章を見ると、この研究テーマについて課題と共に語られていて、それ自体が興味深い章となっている。

あまりハードルを上げずに気軽に読めばいい本だと思うが、気になるところがなくもない。聴声を内言と結びつけるのは著作独自の理論だが、これは本文でも描かれているように当の聴声者による反発に合っているが、確かに無理がなくもない。(作業記憶と結びついて)制御可能な内言と制御不可の聴声を関連付けるのは厳しいと感じる。

疑問に感じる部分も少しなくもないが、そこも含めてこの本は読む価値がある。翻訳も良好で全体的に読みやすい。なにより内言と聴声について科学的な成果に触れながら分かりやすく書かれた日本語の著作は今のところ他に見当たらない。そして、この本には著者自身の関心と専門に基づいているからこその良さに溢れている。

おしゃべりな脳の研究――内言・聴声・対話的思考


書評の本文から抜いた詳しい批判

実は私自身も若い頃に近い状態(軽めの言語性幻聴)になったことがあるが、その経験からも内言と聴声の関連については無理を感じる。本文でも指摘されているが、聴声は解離での説明の方が適切だと感じる。つまり、つらい現実の自分から無理やり心を引き離すのが解離であり、解離こそが幻聴(聴声)を生み出すはずだ。

解離が聴声と内言を結びつけるとする著者の説明はいまいち説得力がない(著者も薄々気づいている)。厳しい環境を生きた古代人の例も考慮すれば、環境からの強すぎるストレスが本人の持つ信念・道徳・信仰・世界観と結びついて、聴声が起こるのであり、そこに内言の入る余地があるか?怪しい(予測処理論を持ち出しても、説明できるのは声の帰属までであり声の発生までは説明できない)。

著作全体としては著者自身の関心と研究履歴に沿った内容であり、そうなのは正しいと思う。だが、やはり前半の内言と後半の聴声は、それぞれが興味深い内容なのだが、内容としてきれいに繋がっているとは言いがたい。聴声に合うように内言モデルを広げることが正しいのか?疑問に感じる。

とはいえ、聴声を精神的な異常としてではなく、正常な心的な防衛機能として捉えようとする本書の試みは素晴らしいと思う。そのような著作は日本ではまだ珍しいので、その点でもこの本はお薦めできる。