アフォーダンスって受けるネタ?

アフォーダンスネタで久しぶりにコメントとトラックバックとの双方が来たのにびっくり。アフォーダンスはそんなに受けるネタなのか(それにしても、副題つけたらおとなり日記で引っかかるぞ。何が書いてあるか分かりやすいから?)と言っても、どちらもデザイン系で、知覚心理系ではない。ということは、ほぼ確実にノーマンつながりだ。私もノーマンは好きだけど、でもギブソンとは違うよね。
リンク先に茂木.健一郎への言及があったが、ちなみに私の茂木氏への評価は低い。私だけかと思ってたら、ネット上で山形浩生が茂木の処女作をけなしてたのを見つけて私だけじゃないと安心した。そうだよね、あれは脳科学をネタにしたおしゃべりだよね。文系とかヘタレ理系には受けがいいかもしれないけど、マトモな理系的知性にはちょっと耐えられない。と言いながら、経済学の山形浩生も心理学の私も文系だったりする。でも、数学は別にそれほど苦手ではない(山形さんもそのはず)。
さてさて、ギブソンについてはネット上で見つけた英文の軽い翻訳のアップも準備中なのでお楽しみに!

アフォーダンス関連からの引用

ノーマンとギブソンとのアフォーダンスの概念の違いは、ノーマン本人が認めています。

アフォーダンスの概念とその概念から生まれた洞察は、もともとはJ.J.ギブソンによるものである。ギブソンは、人が世界をどのように見るかということに興味を持った心理学者である。私の考えでは、アフォーダンスは事物を心理的に解釈することから生じるものであり、その解釈は私たちに、まわりの事物を知覚する際に使われた過去の知識や経験にもとづいたものである。私のこの見解は、多くのギブソン派の心理学者の見解とは少し食い違っている。しかし、この件についての現代心理学の内部で行なわれている議論は、ここではあまり関係ない。

  • ノーマン「誰のためのデザイン?」p.361にある第一章の注3(isbn:478850362x)

「少し」食い違っている、じゃねぇーよ。これじゃ明らかに知覚の解釈論だ。ギブソンが否定している説じゃないか。ということで、本人からの引用。

私の考えでは、アフォーダンスは主観的な経験に見られる、単に現象的な質(即ち、三次性質、力動的・表面的特性、など)ではない、また、現代物理学で言うような、単なる、事物の物理特性でもない。むしろアフォーダンスは、次のような意味で、生態学的である。つまり、アフォーダンスは、動物との関係において規定される環境の特性なのである。これらは過去に類を見ない新しい仮説であり、検討を加える必要がある。

というわけで、アフォーダンスクオリアを結びつけるのは間違った安易な思い付きだと分かります。ギブソンアフォーダンスは環境に実在するけど、クオリアはあまりに主観的すぎる。
でも、ギブソン理解にとってアフォーダンスって絶対に必要なのかな?知覚の生態学的アプローチから情報抽出理論そしてアフォーダンス理論、と進む方がよさそうに思えるのだが。実際、ギブソンアフォーダンス概念を思いつくのは晩年だし。

  • 参考文献

誰のためのデザイン?―認知科学者のデザイン原論 (新曜社認知科学選書)

誰のためのデザイン?―認知科学者のデザイン原論 (新曜社認知科学選書)

ノーマンはこれが基本。以後の著作はここからの変奏にしか思えない。
直接知覚論の根拠―ギブソン心理学論集

直接知覚論の根拠―ギブソン心理学論集

このギブソン論文集は心理学の知識がないと読みにくいのでお薦めしません。訳は読みやすいんだけどね。ちなみに、この訳者による論文の選択には疑問を感じる(なぜこっちじゃないの?)。でも、ギブソンの本質は知覚研究の歴史を知らないと分かりにくいと思った。ちなみに、発達心理学者のエレノア・ギブソンはこのジェイムス・ギブソン奥さんです。どちらも一級の研究者だからすごい。
脳と視覚―グレゴリーの視覚心理学

脳と視覚―グレゴリーの視覚心理学

知覚の解釈論もバカにしないで知っておいた方がよい。リチャード・グレゴリーは有名な視覚研究者。この著作はカラー図版も多く読みやすく、レベルも高い。