下らないアフォーダンス批判
アフォーダンスが自由意志と関係しているから批判するという話があるらしいのをネット上で読んで、相変わらず日本は議論のレベルが低いなと思った。アフォーダンスは因果論とは無関係だし、そもそもギブソンは知覚の因果論に対して批判的だ。因果論とは無関係なのだから、自由意志とも関係がない。もししてるとしても、知覚の因果論はいかにして可能なのかと言うメタレベルの話。ギブソンがしようとしてるのは、知覚者とその環境がいかなる関係にあるかを記述するための方法を探ることである。その点では、彼の考え方は広い意味での構造主義に似ている。
だいたい日本での議論のレベルの低さはほとんど構造主義の考え方を理解してないところから来ているように思える。日本はフランス現代思想が流行ったくせにどうしようもない。認知科学でもピアジェやチョムスキーのような本物の構造主義者がいたのだし、認知言語学だってその考え方はけっこう構造主義に近い(身体スキーマとかプロトタイプとか)。ギブソンの考え方が構造主義に似ているのも、ゲシュタルト心理学の影響を考えればおかしくはない。構造主義は物事の関係を記述するための方法であり、その関係を埋める中身とは関連がないことぐらいは知っておいてくれ。私は日本での現実に基づかないおしゃべりなだけの理論話(二次観察)にはうんざりしている。そういう現実に基づかないおしゃべりが存在するのはチョムスキーの生成文法の再帰性を証明しているようにも思えるが、そんなのはどうでもいい話。まずは認知言語学の考え方を見習って、現実を出発点にしてそこから話を拡張していきませんか。少なくとも私はそうやっているつもりだ。
ちなみに、生成文法と認知言語学のど素人向け入門と言うのを既に書いてあるのだが、改めて読んでみるとあまりのレベルの低さ(原理とパラメータ以前、認知文法以前)にたじろいでしまい、その文章はお蔵入りになってしまっている(一応ネット上も調べたけど初心者向けの文章はないんだけどね)。