ブログを読んでのどうでもいいおしゃべり

kajougenron : hiroki azuma blog: 解離的近代の二層構造論 http://www.hirokiazuma.com/archives/000194.html
前期/後期ウィトゲンシュタインの話から。すべて計算でOKの前期と、そんなわけないじゃんの後期。認知科学を前期に入れちゃうのは図式上しょうがないかもしれないが、私自身が扱っているのは後期的な認知科学の方だ。だから、アフォーダンスだのエスノメソドロジーだの、そういう話ばっかりしている。とはいえ、前期的な認知科学もきちんと一通り勉強してしてますんで。それはそれで面白いよね、趣味的楽しみとしてなら。ちなみに、社会生物学経由の進化心理学はどっちかというと前期だよね。進化論も一つじゃないことぐらいは知ってて欲しい。
各学問をつなぐメタレベルの統合理論はダメ、というのはよく分かる。そういうこと言う科学者って現代思想知らないんだよね。まぁ逆に、思想系の人は現代科学がさっぱり分からなかったりもするが。とはいえ何の論もいらない、ということにはならない。必要なのは各領域の位置づけだ。東さんがやろうとしてるのはそういうことなのかな(区分や分類ではないはずと思うが)。
で、「解離的近代」か。でも「限界の思考」読んだときも思ったけど、意識的な乖離と無意識的な乖離って全然違うよね。後者を平気で出来る動物野郎はいいかもしれないけど、前者を強制されるのはかなりきついんですけど。
解離的近代の二層構造論2 http://www.hirokiazuma.com/archives/000195.html
狭義の政治はさして重要じゃないという意見には賛成。現代社会では、政治システムなんて社会の中の他のシステムと比べて特に重要とは思えない。それはそれで閉じた、というより自律したひとつのシステムに過ぎない。社会構築主義がよく好む広義の政治に価値がないのは当たり前。それは東さんが説明している通りだ。ここまではいい。
そのあとはよく分からない。だからってなぜ議論の対象としてGoogleSNSが選ばれるの?それはそれで特殊なシステムの一部にすぎないと思うんですけど。他のテクノロジーじゃダメなの?というか、そんなにパソコンとかネットって重要?IT革命なんてとっくに終わってるのにそれはないよ。
認知科学の歴史を知っている人間からすると、テクノロジー万能な見方には懐疑的にならざるを得ない。こうした見方を解毒するためのお薦め本としては、「電話するアメリカ」ISBN:4757140185。「グラモフォン・フィルム・タイプライター」ISBN:4480847065(お薦めの章はだんぜんタイプライターの章)。でも、テクノロジーが社会や生活を変えるみたいな一方的な話には眉につばをつけたほうがよい。認知科学でも過去にそんな話はいっぱいあった(というか今でもある)。でも、それほど信用できるものでは結局なかった。テクノロジーによる環境管理型には限界しか感じない。誰がそれやるの?誰ができるの?(そんな奴ろくにいねぇーよ)